クオリティが高すぎる件

 西尾維新ファンにオススメのSS。内容は戯言と化物語のクロスオーバー。しかし一人称視点で書かれてる小説の二次創作が出来る人ってつくづく凄いと思う。しかも西尾節の再現度が半端なく高いっていう。凄いなぁ。

阿良々木「僕でいいのなら何度でも死んでやる」

ちょ、なんでよ


 
 やばい。なんか自分でハードル上げてしまった気がする。

バックストリートベイビーズ 中

   二章

          1

 革張りの黒いソファがあり、いかにも高価そうな絨毯が敷かれいかにも社長室然とした風貌の部屋である。が、豪奢なデスクの上に広げられているものは辞書や書類の類ではなく、一般的な高校で使われている教科書と開かれた市販のノートだった。しかしそのノートは白紙で、加えて言うならその持ち主がその上で顔を伏せていた。
「……退屈」
 少女は呟いてから顔を伏せたまま横を見た。湯気が上がらなくなって久しいコーヒーカップがあった。少女は念力を掛けるかのごとくコーヒーカップを見詰めてから諦めて体を起こした。
「あー、もう! 退屈!」
 叫んでから余計に虚しくなった少女は一度立ち上がり大きく伸びをして、背後のガラス張りの壁から、眼下に広がる街を見下ろした。
「あーあ。私も外に出たいな」
 それは少女の独り言だったのだろう。しかし「それはいけません」と事務的な声が聞こえて少女は振り返った。
「旦那様より、学校に通学する時以外はお嬢様を外に出すなと仰せ付けられております故、それは叶いません」
「わかってるわよぉ……。雪(ゆき)霜(しも)」
 不満げに呟いた少女は携帯を開いて着信を確認したが誰からも着信が来ていなかったので落胆し、溜息を吐きながら携帯を閉じた。
 雪霜と呼ばれたメイド服の二十代前半であろう彼女は、その衣服が表すとおりメイドである。しかもこの少女専属の。
「お言葉ですがお嬢様。先ほどから全く宿題が進んでいないのではありませんか?」
「うっ」
 痛いところを突かれたのか少女は目を泳がせながら、あはは、と笑った。
「笑って誤魔化しても、そんなものは私に通用しませんよ?」
 不適に笑って雪霜は「さ、早く続きを」と言った。
「むぅー、そんなんだから雪霜は結婚できないんだよ」
「結婚など初めから眼中にありません」
 きっぱりといわれて、悪態をついたはずの少女は肩透かしをされた気持ちになった。
「張り合いもないんだからぁ……」
「そんなものは必要ありません。私は旦那様よりお嬢様がご結婚なさるまでの世話係を申し付けられているのですから、張り合う暇があったら教育です」
 さ、勉強勉強と少女を再びデスクに座らせる。
「新しいコーヒーを淹れましょうか?」
 すっかり冷めてしまった、殆ど口を付けられていないカップをみて雪霜は言った。
「あのね、雪霜。どうしていつもいつもコーヒーにミルクとお砂糖を入れるの? 私はブラックが飲みたいの」
「お言葉ですがお嬢様。砂糖に含まれる糖分は疲労回復の効果を持っていますし、ミルクはコーヒーの刺激から胃を守る作用があるのです。それに――」と雪霜の視線は少女の胸の辺りに向けられた。そして、ふっ、と笑った。
「あー、今雪霜笑ったでしょ!? ねえ!」
 だんっ、とデスクを叩いて少女は跳ねるように立ち上がった。
「お嬢様はもう少し女の魅力を磨いた方がよろしいかと……」
「お、女は胸じゃない。その中身よ!」
 我ながらいいセリフを言ったんじゃない? と少女は思った。
「背が低くて貧乳ならまだ救いようがあったのですが……」目を細めて哀れむ視線。
「今はっきり貧乳って言ったよね!? あとその、『もう救いようがありません。手遅れです』的な表現は多くの人間に誤解を招くから止めてちょうだい。これでも顔には自信あるんだから」
「しかし真実ですから……」ぼそっと雪霜は呟いた。「お嬢様も恋でもすれば自然と女を磨けますよ」
「なによ。その『私は経験豊富です』。みたいな言い方は、自分もまだ経験ないじゃない」
ちっ、と忌々しげに舌打ちをして雪霜は「そのことは関係ありません」
「いま舌打したよね、ね?」
「お嬢様の前でそんなことは致しません」
 とぼけるメイド。
「はあ、それにしても。退屈だわぁ……」
「だからといって安易な性行為に走らないように」
「私はそんな『安い女』じゃありません。仮にも私は、美袋財閥時期総代である美袋(みなぎ)古都(みやこ)なんですから」
「その通りでございます。そのように美袋の名をそんなに安く語られては困ります」
「ぐっ……」
 ああいえばこういう。それがこのメイドの基本スタンスである。本当の、まっとうなメイドであれば即クビである。しかしながら幼い頃よりずっと一緒だった二人にとっては『姉妹との他愛のない会話』レベルのことで済まされてしまう。
「いくら時期総代としての修行だからって、なんで私がこんな所に来ないといけなかったのよぉ……」
 再び腰を下ろした彼女はデスクの上に突っ伏しながら言った。
「もうちょっとマシな場所があったんじゃないのぉ……? まあ、学校に一駅だけって言うのは唯一のいいところだけど。だいたいこの街はなんなのよ。ここって本当に日本?」
「間違いなく日本でございますよ。正確に言えば近畿地方のとある地方都市です」
「どこが正確なのよ」
「■■の事情により■■■■させてもらいました」
「その気になる伏字はなに!?」
「お嬢様。むやみやたらに大声をお出しになるのは少々はしたなすぎるかと……」
 そう言わせているのは自分でしょ。そう突っ込もうとしたがそんな気力も無く少女――古都は額をノートの上に押し付けた。
「それはそうと、お嬢様。例の件はどうなされました?」
「例の件?」と額をノートにくっつけたまま言った。「ああ、あれね」そう言って起き上がったが……。
「ぷっ」
「そこっ、笑わない!」
 おでこに張り付いたノートをはがして、ばん、とデスクにたたきつけた。
「ちゃんと依頼はしておいたけど……」
「しておいたけど?」
「あの人ってどこかで見たことがあるのよ。それもあんまりいい印象がないのよね。うーん……」と首を捻る古都。
「ご学友ではないのですか?」と雪霜。
「そんなはず……」と少し悩んでから、「あっ、思い出した。二年で一番ガラが悪いって評判の人だ。なんていうんだっけ……」再び、うーん、と唸る。「あ、そうだ。先輩の幼馴染の人だ。確か名前は天城先輩」
「先輩――とは片宮さまのことですか?」
「そう、瑞穂先輩の幼馴染の不良の人」
「その方もこの街に住んでおられるのですね」
「みたいね。うちの学校って名門の割に変わってるわよね。この街から通っている人間が三人もいるなんて」
「自分でそれを言いますか」と雪霜が言った。「それはそうと、その方はちゃんと責務を果たして頂ける方と――信用してもよろしいのですか?」
「うーん。それはわかんない。だって先輩とか他の人とかからしか天城さんのことは聞いた事はないし、それも全部彼の仕事とは関係のない話ばかりだったから。まあ当然だけど。でも、少なくともうちの人間にやらせるよりは効果的だと思うわ」
「急進派でございますか?」
「そう、呼んでるんだっけ? うん、まあそういうこと。あの連中外部勢力どうこうって言いながら結局の所ここを潰したいだけじゃない。そんなに私がトップになったことが気に入らないのかしら。ああもう、へこむわぁ……」
 ガックリと頭を垂れると、またデスクに突っ伏した。「あーあ、帰りたいな」
「ホームシックですか」
「まさにそれね。帰りたくて帰りたくてしょうがないわ。だって学校帰りによるところがないんですもの! どうして、どうして、この街の駅には『キオスク』がないのよ」
「そこですか」
「でもいつも朝は先輩と一緒だからいいけど」
「お嬢様にそちらの趣味がおありだったなんて」
 ハンカチを目元に当てて泣く素振り。
「どうして!? いまのでどうしてそっちの方面に結びつくのよ」
 がばっと体を起こして必死に抗議する。
「男に興味がない。女と一緒が嬉しい。まさにその兆候が現れているではありませんか」
「や、ちょっとそれは考えすぎ」
「じゃあ、一ヶ月以内に恋人を作るというのはどうでしょう。出来なければ百合決定ということで――」
「ちょっと待ったぁ! その悪意しか汲み取れない提案は。雪霜、貴女そんなに私を百合っ子に仕立て上げたいわけ?」
「一人くらいいてもいいんじゃないのですか? そして禁断の恋に苦しみ、挙句の果てには暗黒色に輝く忌避の三角形へ――!」ぐっと拳を握り締めて雪霜が言った。「どうです、いい提案でございましょう」
「どこがよ! なに? その、三角形って私と先輩とその幼馴染って構図? で、最後に誰か海辺で刺されるの? 歩道橋で紅い噴水ですか!? ナイスなボートに乗って『赤と黒』的愛の逃避行しろって!?」
「流石。よく分かっていらっしゃります」
「その『流石』ってなによ」
「平地に手を当ててお考え下さい」
 ペコリとお辞儀をする。なんとなくご愁傷様と言っている様な気がした。
「ぅ……そんなに人のコンプレックスを責め立てて面白い?」
「ええ、もちろん」
「…………」
 そっこうで返って来た答えに古都は、はあ、と溜息をつきながらまた座った。
「私は『タチ』ですから。お嬢様はツンデレ系の『ネコ』ですね」
「何の話よ、それ」
 私は知らない、と古都は心の中で叫んだ。
「またまたぁ、お嬢様。私知っているのですから。毎晩毎晩、■■■■で▲▲▼を○○○○なのを……」
「だからその伏字は一体何なのよ!」
「公開してもよろしいですか? 後悔しても知りませんよ?」
 ふふふ、と流し目でサディスティックな微笑み。
「貴女は一体私のどんな秘密を握ったのよ」
「御所望ならば一部を公開いたしますが……?」
 ふふん、と不敵な笑み。
「分かりました。ごめんなさい。ですからどうか伏字の下を明かすことは勘弁してください。――これでいいでしょ?」
「よろしいです」
 立場が逆転してしまっているような気もするがこの二人は幼い頃からこうなのである。
「それでは真面目な話を始めましょう」
 急に引き締まった声で雪霜が言った。
「やっとね……それで? 街の様子は?」
「ええ、急進派が動き出しました。今日も一つ探偵事務所が潰されました」
「……被害は?」
「襲撃した急進派の方で二十人くらい、探偵事務所にいた人間で死亡したという話は聞いていません」
「なにそれ」
 襲撃されたにしては被害が少なすぎると古都は思った。
「ええ、まさになにそれです。何でも三人で撃破したようです。まあ最後はRPGを撃ち込まれて事務所が半壊して終わったようですけど」
「RPG……って?」
 古都はそういった方面には全く疎いのである。だからRPGと聞いて最初に頭に浮かんだのがドラクエであった。
「歩兵携行用対戦車擲弾発射器のことです。早い話がロケット弾です」
「それって――」
 やりすぎじゃないの? と古都は呟いた。
「よくそれで生き残れたわね……」
 自分なら真っ先に死ぬと古都は頭の中でシュミレートして思った。
「という言うわけで、今街はとても治安が悪くなっております。ですからいくら明日が休日であろうと無断で外出することなく、外出の際には私の許可を取ってから護衛つきで外出してください」
「えー、なんでよ」
「これはお願いでは有りません。命令です」

 で、翌日。

「そうは言ってもねぇ……」サングラスに目深に被った帽子。所謂、お忍びスタイルで古都は街を歩いていた。
 せっかくの休日をあんな狭苦しいところで過ごすなんて無理。雪霜ももうちょっと頭が柔らかければいいんだけどなあ……。お父様の言いつけなんていくらでも破ればいいのに、どの道私が泣いて謝れば大抵のことは許してくれる、子供(とくに娘)にあまあまの親なんだから。まあ、ちょっとお母さんは怖いけど。そんな事を考えながら古都はまだ日の昇りきらない街を好奇心旺盛な瞳で見渡す。
「んー、いい天気」
 歩きながら伸びをする。そして深呼吸。朝のまだ張り詰めた穢れていない空気が肺の中を満たしていく。それだけで古都は少し気分が良くなった。
 そう、今はまだ時間にすれば早朝と呼ばれる時間帯に入る。そのため外はまだうっすらと灰暗く、人影もまばらだ。
 お化けが出てきそうな雰囲気である。だから古都は少し好奇心が湧き上がってきて、路地をそっと覗いた。「なにかあるかなぁー」と鼻歌交じりで。
「…………あれ?」
 人が居る。と思った時にはもう一歩踏み出していた。
 なにかの取引?
 好奇心に勝てずにまた一歩。
 ブゥゥゥゥゥンとエンジンモーターが唸る音がその人影の方からする。
「え?」
 そう言うのと同時に足元で乾いた――何かが割れる音――がした。落ちていた硝子の破片を踏んでしまったのだ。
 二つの人影から放たれた視線が古都に集中した。暗くて見えなかったがそれを肌で感じ取った古都は本能的な恐怖に駆られそこから走り去ろうとした。しかし――。次の瞬間には、目の前にチェーンソーを携えた髪がボサボサの女性が立っていた。口元は気味悪く左右に引き伸ばされ、目は死んでいて何も訴えかけるものはない。
「あ、あ……」とっさに悲鳴を上げようとしたがあまりの恐怖に喉が凍りつき、声が出ない。
 ちょっと、私ここで死ぬって言うの? そんなの嫌だ、と古都はすぐにでも逃げ出そうとしたが、しかし腰が抜けたせいで足に力が入らない。ぺたんと力なく尻餅をついてしまう。
 チェーンソーを持った女は一歩ずつゆっくりと古都に近づいてくる。それが余計に古都の恐怖心を煽った。
 やるなら早くやって……! 目を瞑って半ば諦めかけた古都は自棄になって心の中でそう叫んでいた。
 そして、チェーンソーのエンジン音がすぐ近くまで迫った時、突然銃声が響いて女が後ろに飛び退った。続いて「逃げろ!」と男の声がした。しかし腰が抜けてしまっている古都はどうしても立ち上がれなかった。片手に銃を握った男がすぐさま駆けつけた。「ちっ」と舌打ちが聞こえる。そして、古都を抱き上げた。お姫様だっこのようになっていて、古都は焦った。
「ちょ、ちょっと!」
「文句は後からにしろ!」
 そういうと男は古都を抱きかかえたまま走り出した。背後ではチェーンソーを唸らせながら女が追いかけてくる。
「大丈夫なの!?」
「うるさい! 大丈夫もクソもあるか。ったく、一億逃したじゃねえか!」男は物凄く不機嫌そうだ。
 一億……? と古都は首をかしげた。
 チェーンソーと一億というワードに何かしらの共通点を見出した古都は、そう言えばこの人の顔を見ていないな、と少し上目遣いになって自分の恩人の顔を確認した。
「…………?」
 あれ? もしかして――。
 と古都はその顔に見覚えがあった。
 完全にチェーンソー女を撒いたらしく、アパートらしき建物の前で古都は降ろされた。
「怪我はないか?」と男が言った。
「え? うん。大丈夫」と古都は答えた。それからもう一度男の顔を確認した。
 うん、間違いない。絶対そうだ。
「あの――」
「取り敢えずうちで休んでく?」と古都の言葉を男が遮った。「ああ、ごめんごめん。別に変な意味はないから。まああっても妹と一緒に住んでるからできないけど」
「…………」
 あははは、と笑う男を見て古都は何かしらの感慨を得た。それは先ほどの路地裏で助けられた時から始まっていたものだった。
「まあ、嫌ならいいけど。でも、夜が明けるまでは危険だからやっぱり家で休んでいけば? なんなら幼馴染の女友達の部屋にでも案内するけど」
「あ、はい! ありがとうございます。それよりも……」
 怒っていないんですか? と古都は訊いた。
「怒る? どうして」男は不思議そうな顔をした。
「だってさっき、お仕事の邪魔をしちゃったじゃないですか」
「ああ、あれ。気にしないでいいよ。どうせまた出会えるだろうから。それに一応金は入ってきてるから」
 苦笑いを浮かべて男は言った。
 それで古都は確信した。
 ――この人は私が依頼した人だ。でも私のことなんて完璧に忘れてるし……。
 自分が忘れられている。という事実に怒りを感じながらもそれを超える虚しさがこみ上げてきて一つ溜息をついた。
 男に案内されるままアパートのロビーに入り二階に上がる。完全にお嬢様育ちの古都にとっては物語の中の世界だ。
 『天城』と書かれたドアので立ち止まった。
 やっぱり、天城先輩だ。ということは幼馴染の女友達って言うのは瑞穂先輩のことだから。先輩もこのアパートに住んでいるんだ(そんなこと一度も聞いていない)。帰りでたまに一緒になるけど途中で別れるから、知らなかったなあ。先輩もそんな事言ってなかったし。
「おーい、上がらないのか?」と天城はドアの前で立ち止まったままの古都に向かって言った。
「は、はい、今すぐ行きます」ぎこちなく返事をして天城の部屋に上がる。
 中はLDKのこぢんまりとした普通の部屋だった。家具も少なく箪笥と本棚、それに卓袱台くらいしかなかった。
「おっかえりー」とキッチンの方から元気のいい声がした。
「妹さん?」と古都は訊いた。
「ああ、白菜っていうんだ」
「白菜?」
 お鍋の具みたいだなと古都は思った。
「おにいちゃ……」とキッチンから飛び出してきた白菜の動きピタリと止まった。「こ、こここ、この人は行ったい全体何戦隊でごじゃりますかぁ!?」
 物凄く取り乱している。
「あ、あの、私は……」と自分のことを説明しようとした古都だったが、その前に天城が「拾った」といった。
「拾った!?」
 すかさず突っ込む古都。
「冗談冗談」あははは、と笑う。「路地裏で助けたんだよ。明るくなるまでここに居ろって。いいだろ?」
「いいですけどぉ……なんか怪しい人です」
 そう指摘されて古都は自分が変装している事を思い出した。
「あ、あの。今すぐとります。はい」とあわてて帽子とサングラスを取って「これでいいですか?」と少し期待を込めていった。
「うわー、お兄ちゃん。また美人さんですか」と白菜が言った。
「またってなんだよ」
「私に次いで二人も」
「お前鏡見たことないのか?」
「あうー、酷いですぅ」とぽかぽかと天城のおなかのちょっと上辺りを叩くが、当の本人は全くダメージを受けていない様子。
 その光景を見ていた古都は自然と頬が緩んだ。「あははっ」と笑っていた。
 ぴた、と二人の動きが止まった。
「とっても仲がいいんですね。羨ましいです」
 自分に姉妹は居ないけど、姉のような雪霜がいる。でも雪霜はこんな風にかまってくれない。いつも言葉で制すだけ。まあ口喧嘩は少しだけ楽しいけど。でも、自分もこんな風にじゃれあえるような姉妹――特に妹――が欲しかったと、古都は思った。
「と、取り敢えず朝ごはんにしましょうです」と白菜が真っ赤になりながら言った。
 その食卓もまさに物語の中の世界だった。
 畳の上に座布団を敷いて座る。その中心には卓袱台があってメニューは鮭の塩焼きとお味噌汁とご飯と付け合せの和え物とお漬物。古都にとっては久しぶりに食べる日本食らしい日本食だった。
「おいしい!」と鮭の塩焼きを一口食べた古都は言った。「こんなにおいしいのを食べたのは久しぶり」
 普段は洋食ばかりで、和食の朝食が久しぶりだったこともあったが、それを差し引いても、焼き加減、塩加減、全てが完璧だった。
「えへへー、照れちゃいますぅ」恥ずかしそうに白菜が言った。

          2

 居場所というものについて俺は考える。人間には一人一人、それぞれにピッタリの居場所が存在している。なら自分はどうなのかと考えた時、俺が今立っている場所は違うような気がする。理由は分からないけど、そもそもそんなはっきりしないことに明確な理由を求める方がおかしいから、そう感じればそれが答えなのだ。いつもそうやって自分を納得させている。ようするに、俺はこの街にあっていないのだと思う。
 そう、そして今俺の目の前にいる少女。名前は知らない。でもこの少女も俺と同じだ。人にはそれぞれの居場所があるとさっき言った。そしてそれを区別する方法は唯一つ、その人間の心が放つ香りだ。少なくともこの少女にはこの街で生きる人間が放つ、卵に硫黄をブッ掛けて腐らせたような香りはしない。強いて言うなら無臭だ。外にも中にもそんなヤツはいる。白菜それに瑞穂以外には知らない。夢前さんはどこか全てを超越した感がある。
 でも、一体なぜそんな人間があんな時間に外を出歩いていたんだろうか。あいつの言葉を借りるなら『この街で夜中出歩くヤツァ馬鹿か犬かろくでなしの家出女だけだ』。尤もその理由を問い詰めるつもりはないけれど。やっぱり気になることは気になるけど、あんまりプライベートな事を訊くのもな……。
「それにしても、」
 もうちょっとだったんだけどなぁ……。あそこで邪魔が入らなかったらもしかしたら解体屋を仕留められたかもしれないのに……。まあ過ぎ去ったことを悔いたって無為なだけだ。
『後悔先に立たず』
 うん。いい言葉だ。
 でも、していい後悔もあると思う。そもそも人間の歴史は後悔の積み重ねだから。そう考えれば後悔は先には立っていないけれど地面を作ってはいる。
「何難しい顔しちゃってるんですか?」と突然視界一杯に白菜の顔が広がった。
「うわっ」
「あー、失礼ですよ。人の顔見て驚くなんて」
 むぅー、とジト目になって睨んでくる。
「あのな、そりゃ誰でも突然そんなことされたら驚くに決まってるだろ」
「そんなにぼーっ、としてたら思わぬ刺客に後ろから『バーン!』ってやられちゃいますよ。そんなことになったら私、泣いちゃいますよ? 後追い自殺しちゃいますよ!?」胸の前で手を組みながら言う。
「あー、泣くのは勝手だけど死なないでくれ。死んでからの寝覚めが悪い」
 死んでからも寝られたらの話だけどな。
 それから俺は部屋を見回した。
「ぬ?」
 さっきの子は?
「今お風呂に入ってもらっています。凄いですね、朝風呂ですよ。朝風呂。リッチですね」
 なぜかテンションが高い白菜。
「朝から風呂なんて入ったら眠っちまうっての」
 夜入っても寝そうになるのに、朝入ったら湯船で溺死しかねない。刺客に狙われて死ぬのも嫌だけど風呂で溺死なんてもっと嫌だ。
「あ、上がられました。私タオル渡してきますね……お兄ちゃん?」
「ぬへ? どした?」予期せぬ呼びかけで思いがけぬ間抜けボイス。
「あんまり危ないことしちゃ嫌ですよ。本当に、私お兄ちゃんが居ないと生きられないんですから」
 言ってからえへへー、と笑ってタオルを持って脱衣所に向かった。俺はその背中を見ながら「なんだ?」と呟いた。
 意味が分からなかった。
 というか意味深過ぎて死亡フラグが立ちそうだ。
 露出した肩と頭から湯気を立ててタオルを頭から被った少女――そう言えば名前聞いて無いな――が牛乳片手に現れた。
「そう言えばなんて名前?」
「…………」
 あれ? 返事がない。
 「お兄ちゃん……。ちょっとタイミングおかしすぎます」と白菜。
 ふぬう、そうか?
「名前……ですか?」とこちらはキョトンとした表情で答える。
「言いたくないなら別にいいけど。あんまり見ず知らずの他人に名乗りまくっていたらなんかやった時に面倒だからな。まあ、えっと……」
「みやこっていいます。古事記の『古』に都の『都』です。苗字は……」そこで一旦迷ってから古都は「美袋です」と言った。
「へえ、美袋」
 ぬ? 
 美袋? 
 なんか物凄く聞き覚えがあるぞ?
「もしかしたらの質問なんだけど」
「はい?」と古都ちゃんは首を傾げる。
 まさかそんな事ないよな。
「袋間高校の一年生だったりしない?」
「……ご、ご名答です」ちょっと引き攣った表情で答える。
 やっぱり。
「お兄ちゃん知っているんですか?」
「ああ、知ってるって言うか、俺も瑞穂からの話でしか聞いたことないんだけど。美袋財閥のお嬢様……らしい」
 らしいって言うかそうなんだろうけど、なんでそんなお嬢様がこんな街にいるんだ?
「あ、あの。天城先輩?」
「んえっ?」
 今、天城先輩って言わなかったか。
 言った当の本人もしまったという顔をしている。
「もしかして、俺のこと知ってる?」
「え、ええ。人伝にですけど……あ、あははは」
 あさっての方向を向きながら乾いた笑いで誤魔化した。
「あー、って事はあんまりいい噂じゃないな」
 瑞穂の知り合いってことは俺のことを知っててもおかしくないんだけど、他のルートからも俺のかなり歪曲された情報が出回ってるからな。
「そ、そうですね」
 む、なんかぎこちないぞ。
「あ、あのですね。私がここに来たことはくれぐれも先輩には内緒にして欲しいんですよ。お願いします! 怒られちゃうんです。先輩の話ではここら一帯は物凄く治安が悪くて、だから朝もここまで先輩を迎えに行きたいのに駅で待ってろって、そうじゃなかったら家の前で待機してなさいって言うんです。だから、だからお願いします。どぉーかこの通り先輩には言わないでください!」
 ばたばたと土下座をしながら一気に捲くし立ててくれたのに、非常に申し訳ないんだけど。
「……手遅れだ。後ろを見ろ。いや、見るな」
「は――――」
 いや、寧ろ。
「前だけを向いてそのままそこの窓に突っ込め」と俺。
「何故窓へ!?」と古都ちゃん。
「ダーイヴ!」と白菜。
「何やってんの。あんたら……。とうとう頭がどうにかなった?」
 凍りつきそうなほど冷たい瑞穂の声で異常なこの茶番劇は幕を閉じたのであった……ちゃんちゃん。
「『ちゃんちゃん』じゃないわよ。あんたら朝だからって壊れすぎよ。それとなんでみーちゃんが居るのよ」
「あ、せ、先輩。こ、これにはふ、深いわけが」
「ほう? 私を不快にさせた深い訳があるわけね? 一応聞いてあげるわ?」
 悪魔のような微笑だ。そして駄洒落。
「お兄ちゃん……」俺の服の袖をちょんとつまんで白菜が言った。「なんかとっても怖いです」
「いいか、白菜。あれは人間じゃない。あれはな人の皮を被った鬼だ。いいか、だから絶対近づいてはならん」
「わ、わかったよぉ」
 よーしよしよしよしよしよしよしよし、いい子だ。
「あんたらはそこで何やってんのよ馬鹿兄妹! 頭でジュース飲めるようにされたい?」
「いや、お前どうしたんだよ。メチャクチャ不機嫌じゃねえか。なんかあったのかよ」
「なんかあった? ふん。自分の胸に手を当ててみなさい。それで分からなかったら私が切開して見せてあげるわ」
「いや、別のモンが見えるだろ」
「解ってるとは思うけど、閉じたりなんてしないわよ」
 ……悪魔だ。
「さあて、こんな馬鹿は放っておいて、みーちゃん。その訳とやらを聞いてあげるわ。もしまっとうな理由なら許したげる。そうでなかっても一週間隷属するなら許してあげるわ。全てを拒む場合はそれなりの刑罰を与える……さあ、言いなさい」
 瑞穂さん……目が据わってます。
「あ、あのっ! スミマセンでした! 一週間奴隷やらせてください!」
 そっちかよ! 
「わ、私先輩のためならこの身体も心も全て捧げるつもりです!」
「冗談よ。そんな本気にしなくても、ほんとに、みーちゃん気をつけないと将来変な男に引っかかっちゃうわよ」
「なんで俺の方を見ながら言う!」
 それなりにまっとうな人間のつもりだ。
「罪な男ですねぇー」
「お前まで言うか」
 ロシアンマフィアに嵌められた暴力団の気分だ。
「それで、みーちゃん。怒らないから理由を言ってちょうだい?」
「え、あ、はい。実はですね――」
 古都ちゃんが語った理由はとても簡単だった。
 要するに、箱入り娘が外に憧れて飛び出した(家出した)ってことだ。
 一通り話を聞いた瑞穂は「そんなことだろうと思った」と溜息をこぼした。
「お願いします。どぉーかこの通り。家には連絡しないで下さい」
「……いいけど、どうするつもりよ。あんた自分の身分はしっかりと弁えているんでしょうね」
「はい、一応は……」
「そう、ならいいわ。美袋財閥が大手を振って動き出しても私はフォローしないわよ。『自分でしたことは自分で始末をつける』。誰かの受け売りよ」
 それはあいつの言葉で俺が瑞穂に言ったヤツだ。まあ常識なんだけどこれは結構気に入っている。
「大丈夫です。そんなことになってもお父様は多分許してくれると思いますから……」
「子煩悩な親ね。子供が自分から殺されかけて笑ってくれるのね」
 ふん、と瑞穂は鼻を鳴らした。
「え? 知っているんですか? 私がここに居る理由」
「分かるわよ。家出して偶然出会った天城君について行くなんて、まるで立ちんぼやってる娼婦じゃない。あのね、天城君が誰かを家に連れて帰ってくるときは決まって目の前で死にそうになったり殺されそうになったりした人か、もしくはにっちもさっち行かないくらいに困っている人だけなのよ。隣に住んでいる夢前さん、ていういつも和装した物凄い美人が居るんだけど。その人も、大怪我して後を追われて、どうしようもなくなった所を偶然通りかかった天城君に助けられてここに来たのよ」
「はあ……」と分かったような分からないような返事をする。「じゃ、じゃあ私もここに匿ってもらえます?」
 即決だな、おい。
「匿って、ってねえ、あなた。まあ一つだけ条件があるわ」
「なんですか?」神妙に訊ねる古都ちゃん。
 条件? なんだそれ。
「その一、毎月所定の料金を払う。その二、誰かの部屋に居候する。この選択肢の中のいずれかを必ず選ぶ。私のオススメはその一よ」
 ……ただの勧誘じゃねえか。
「あ、あのそれじゃ――」と古都ちゃんが答えようとした瞬間に「但し!」と付け加える。
「天城君の部屋はダメよ。何されるか分かったもんじゃない。だから私は強くその一を強くオススメするわ。それと天城君、なんだかんだでまだ家賃払ってないでしょ。今日の午後までに現ナマで払わないと五倍にするわよ」
「それはやりすぎだろ!」
「規則を破ったものにはそれなりの償いが必要よ。それにこの前五千万手に入れたんでしょうが」
「ああ、あれか。あれならお前の兄貴に半分くらい持っていかれたよ。依頼料と修理代だってさ」
「……あとでシメなきゃ」恐ろしく剣のある目つきでそういってから「それで? どうする?」と古都に視線を向けた。
「え、あ、は、はい。えっとですね……」
 古都ちゃん完全にビビッてますけど。
 うーん。しかし、それにしても瑞穂はこうやって恐怖政治で下級生を纏めているのか。もしや生徒会選挙で当選したのもそのせいじゃ……。
「天城君?」
「なに」
「邪推は命を縮めるわよ?」
 恐ろしく冷たい微笑だ。このまま直視したら石になりそうだ。
「それで、決めた? みーちゃん」
「はい、き、決めました。えっと……あ……」
「あ?」
 なんか瑞穂の顔が怖い。
「…………新しい部屋借ります!」
 はあはあはあ、と古都ちゃんは肩で息をしている。
 どんだけ緊張してんだ。
「よろしい」と先生みたいな口調で瑞穂は言う。
 まあこれでこの話には一段落ついたわけだ。
「あの、さっきから気になっていたんですけど」と元の調子に戻った古都ちゃんが言った。「天城先輩が頭に巻いている赤い模様――というか染みのついたピッコロみたいなターバンは一体なんですか?」
「…………」
 ほう、お嬢様はこれをターバンと称すか。なかなかズレた世界観をお持ちで……って、赤い染み?
「大変――。今夢前さん呼んでくるからそこで石のように大人しくしてなさい。出来ないようなら私が眼力で石に変えてあげるわ」
「やっぱできんの!?」
「もちろん。それじゃ、大人しく待ってるのよ。しーちゃんおねがいね」
「あいあいさー」と白菜。「それじゃあ、お兄ちゃん。大人しくしちゃってくださいね」
がっしり肩をつかまれる。
 と、一人だけ状況がよく飲み込めていないのがいるな。「あのー、それなんなんですか?」
「これは包帯で染みは出血によるものだ」
 頭ぱっくり縫い直しだなこりゃ。
「えっ、えぇ!? あの、それってもしかして私のせいですか!?」
「違うよ。ちょっと前に頭のイカレた連中にやられたんだ」
 まあ誰かのせいって言えばあの依頼人と依頼を受けた俺のせいなんだろうけど。
「あのー……すみませんでした」
 それでも一応謝りたいのか古都ちゃんは謝った。
 それからしばらくそのままの体勢で待っていると夢前さんが看護セットを持ってきて現れて「あまり無茶をしないで下さい」と諭しながら、縫い直してついでに包帯も巻いてくれた。麻酔なしで頭の傷を縫われるのは物凄く痛かったが、痛がったところで何にも生まれないので、俺は石の様に耐えた。
「本当はまだ、あと一週間は激しい運動は控えないといけないのですから」
 
          3

 居場所についてもう少し考えてみた。
  
 果たして人間は自分の存在する居場所を自らの意思で決めることが出来るのか否か、ということだ。この問いを世界中の人間に投げかければ出来ると思う人も居ればそんなことは無理だという人も居るだろう。当たり前だ。人間誰一人として同じ考えを持った『他人』は存在しないのだから。そして同じ考えを持った『自分』は一人しか居ない。だから人間は常に孤独で、だからこそ誰かと同じ考えをしたがる。そうやって無理やりにでも『自分』と『他人』の間に共通項を与えることによって人は始めて『仲間』を得ている。しかしそれが本当の『仲間』なのかどうかは疑問だ。
 ――話がそれてしまった。
 自分の居場所だが、そんなもの、少なくとも最初の段階では、つまり生まれ来る最初の居場所は自分で選択できない、と俺は思う。だから先ほどの問いを自分に投げかければ答えはイエスでありノーなのだ。そんなのは卑怯だとか思うだろうが、これは俺の考えだ。他人にとやかく言われる筋合いはない。そして言う筋合いもまた存在しないのだ。異なる考えを排除しようとすることは人間の持つ愚かさの一つであると俺は思う。そしてこの国は殊更その思想が強い愚かな民族の住む場所だと思う。
しかしそれは全てが悪いとは言わない。自主性がないとも思わない。なぜなら隣を見て自分もそうしようと、自らの主観に基づいて決めているのだから自主性はあるのだろう。だが、それを続けていると世界は物凄くつまらなくなる。みんながみんな同じ服で同じ髪型で全く同じランチを食べて同じ話題を話す。もちろん読む本だって聴く音楽だって同じだ。とてもじゃないが耐えられない。もしその中で少しでも違う考え方をする人間が居ればキチガイ扱いされるに決まっている。思想がみんな同じだなんて政治家以外は誰も喜ばないに決まっているんだ。
 っと、また逸れた。
 確か居場所の話だったはずだ。
 生まれ来る場所は決められない。たとえば俺や瑞穂のようにこの街になじめない人間がこの街で生まれ育っているということがいい例だ。それに加えて言えば白菜や古都ちゃんもその部類に入ると思う。まあ、古都ちゃんは少々特別だけど。それによく考えたら白菜はまるっきりこれまでの経歴が不明だ。まあそのことは追々訊くとしよう。
 生まれたときは決められない居場所でもそれ以降は、ある程度は自分でコントロールできると俺は思う。だから人は友達を作り、群れを形成するのだ。あれも一種の居場所探しと居場所作りだ。気の会う仲間同士で擬似的な自分にとっての最良の居場所を作り出す。それによって一時的な安堵を得ることが出来る。結局の所気休めなのだ。さっき言ったとおりどれだけ人と意見が合おうが最大まで還元してしまえば人はみな孤独だ。そして孤独だからこそ、その一時的な居場所が放つ、甘く生暖かい空気に当てられてそこにいつまでも留まろうとしてしまう。
 俺はどうなんだろうか。たまに思うのだ、その気になりさえすれば、いつでもこの街を出ることができるんじゃないかと。多分、これは幻想でもなんでもなく真実だ。だからここに今現在も留まっているということは俺が少なくとも今はここを気に入っているということだ。でも思うんだけど、俺が気に入っているのはこの街ではなくてこのアパートの空気なんだと思う。瑞穂がいて夢前さんがいてエロジジイがいて引きこもり女がいる。それに白菜。あと古都ちゃん。古都ちゃんは今日入ったばかりの新入りだからどうか分からないけど、少なくとも強くこの街に俺は引きとめているのは瑞穂だ。俺は多分瑞穂がこの街からいなくなるまでこの街に居続けると思う。こんなことを言うのはおこがましい事と分かっているが、瑞穂を守れるのは俺だけなんだと思う。なんて馬鹿馬鹿しい考えなんだと思っただろう。でも、少なくとも俺は今までの借りを全部返さないといけない様な気がする。そんな使命感に囚われて、俺は孤児院を出るとすぐに瑞穂の居場所を探した。そして偶然にも同じ高校に入学をしたと知ったときは柄にもなく大声をあげて喜んだ。しかも同じクラスだった時には、もうこれは幸運を超えて何かしらの悪意さえ感じた。
 ――そう、まさに悪意。
 入学式の前日。俺は街の中央を流れる川に掛かる橋の上で再会した。その場所は俺とその周囲の人間にとってはこの上なく因果な場所で、傷だらけの夢前さんを助けたのも空腹で倒れた白菜を助けたのもあの場所だ。
 今でも鮮明に覚えている。
 再会の挨拶を。
 出会い頭に思いっきりハイキックを食らったのは忘れようにも忘れられるかっての。
 もっといい再会の方法があるだろうに……。
 こう、泣くとか、いきなり抱くつくとか、『久しぶりだね』って微笑むとかさ。昔の瑞穂なら最後のが一番可能性が高いんだけど、再会した瑞穂は今の無愛想な瑞穂だった。だからって、ハイキックはやりすぎだと思う。
 もし将来結婚なんかして結婚式で二人の馴れ初めの紹介があってもそこはきっちり削除した上でロマンチックな何かに書き換えてやる。あんなものはいくら書き換えた所で当事者以外には分からないんだから。

         ※
 
 大いに話が逸れてしまったが、結局俺が言いたいのは、人間場所を弁えておこがましく生きろと言うことだ。

         4

 古都は取り敢えず今自分のなかにある感情を何かしらの形に整理して並べてみた。そして出た結果がこれだ。
「……私。天城先輩のこと………………好きかも」
 取り敢えず口に出してみて恥ずかしくなった古都は辺りをキョロキョロと見渡し当の本人が居ないかどうか確かめて、まだジュースを買いに行ったまま戻ってきていないことを確認すると、色々な感情が一緒ごたになって奇妙な色になってしまった溜息をついた。その奇妙な色はもしかしたらミックスジュースの色だったかもしれない。
「あーもう! しっかりしろ、私」
 自分の顔をぺしんと叩いてから伸びをした。
 とにかくこのシチュエーションがいけないのよ。どうして、先輩と私が二人きりなの!? 心の中で呟いて余計に緊張した。多分今の調子で歩けば手と足が両方同時にでるだろう。
 つまるところ、噴水前のベンチに一人取り残された古都はとにかく緊張しまくっていた。
 それは古都自身も感じていることで本人的には『人生最大の緊張』だ。
「あーもう。はやく先輩たち帰ってこないかなぁ……」
 瑞穂と白菜は現在二人で洋服店をハシゴしているところだ。古都も誘われたが何分、こういったウィンドショッピングに慣れておらず、また、冒険心はあっても尻すぼみするタイプなので「いい、いかない」と答えた(そのことを考えれば家出をしたのは奇跡に近い)。その結果がこれだ。基本的に帰りの荷物もちが役目である天城と二人きりになってしまったのだ。
 二人の買い物が終わるまであと一時間か二時間は掛かりそうだという天城の言葉を聞いて余計に落胆した。
 私の心臓を破裂させるつもり? そもそも、どうして天城先輩は解体屋を探さないのよ。って、あ、そうか。探さないんじゃなくて探せないんだった。
 自分のせいで天城が怪我をしたことを思い出してもう何度目か分からない溜息をついた。
「『溜息の数だけ幸せが逃げて不幸が入ってくる』」
「えひぃ!?」
 突然声を掛けられて古都は変な声で驚いてしまった。
「…………」
「コーラとオレンジジュースどっちがいい?」しかし天城は別にそんなこと気にする素振りもなく手にした缶ジュースを見せ言った。
「お、オレンジジュース」
「まいど」
 古都にジュースを手渡した天城はそのまま一人分開けて都の右となりに座った。そのことに少しだけ落胆した。
 四掛人けだもんね。ね。
 自分を励ましながらプルトップを開けて一口飲んだ。
「あー、おいしい」
「古都ちゃんも好きなんだな。それ」オレンジジュースを指して天城は言った。
それに対して古都は「え、えぇ!?」と、好きと言う言葉に必要以上に反応してしまった。
「オレンジジュース」少し笑いながら天城は言った。
「ですよね」答えて小さく息を吐いた。「はい、子供の頃からずっと好きです」
「瑞穂と同じだな」
「瑞穂先輩もオレンジジュース大好き党なんですか?」
「ああ、それもかなりの保守派だ」
「保守派?」
「そう。あるいは原理主義者かな。あいつ月に十五本は飲むからな」
「二日に一本ですか……不思議ですね。それだけ飲んだら太りそうですけど」
 自分なら間違いなく太ると古都は、少し嫉妬した。
「はは、それあいつの前で言うなよ。あれで結構気にしてるからな。ったく、気にするなら飲まなけりゃいいのに」そう言ってぐい、とコーラを一気に飲む。「まあ、あれにはちょっとした小話がついてくるからな」
「……小話、ですか?」
「ああ。でも……まあそれは今度機会があれば話すよ。あんまりこんな所でするような話じゃないからな」そういうと天城は空を仰いだ。「なあ、古都ちゃん……。帰ろうとかは思わないのか?」
「え?」突然の質問だったので古都はすぐに答えられなかった。
 帰る……か。帰りたいのかな。でも、あのアパートに居座れば瑞穂先輩とも天城先輩とも毎日会える。
 ――女のみりょ……じゃなくて! 
 ――美袋財閥次期総代美袋古都。
「……先輩。ちょっと聞いてくれます?」
「いいけど? どうせ暇だから」
 私は暇つぶしか……。と思いながらも古都は話し始める。「先輩は私の実家のことは知ってますよね?」
「ああ」
「だから、しかも家の親――お父様だけなんだけどね――物凄い子煩悩で親ばかで、凄く大事にされて育ったわけ。小さい子供が外で遊んでて怪我したりしたら慌てて駆けつけるでしょ? でもね、お父様はそんなレベルじゃなかったもん。執事の宮前さん――言うチャップリンみたいな髭が鼻の下にある人なんだけど――に止められるまで、膝をちょっと擦りむいただけの私を救急車に乗せようとしてたんですよ。それいはいくらなんでもやりすぎでしょって、ね。それから雪霜っていうメイドがいるの。この人は私の四つ上で姉みたいな人なんですけど、仕事に対する使命感が物凄く強くて、お父様が言いつけたこと、特に私に関することは、もう、まるで神の啓示を受けたキリストみたいにひたすらに守り通すの」
「大変だな」と天城が言った。
「ええ、もう。本当に。それで――だから私は物凄い箱入り娘で、高校に行くまではずっと家で雇った家庭教師と雪霜に勉強を教わっていたの。で、その後よ。その後が私の人生最初の反抗。お父様は私をもっと別の高校に入れるつもりだったらしいんですけど、その頃の私はもう、世界そのものを疑って掛かるほどに反抗的で、だからお父様が用意した線路とは別のローカル線に乗ってやったわけ。でもそしたら、その入った学校は美袋家と間宮家が友好の証に作った高校で――そう、それが袋間高校。ね、まんまでしょ? でも当時の私はどこかキレちゃってたから気がつかなかったんです」
 はあ、と溜息をついて自分の爪先を見詰めた。
「それで、高校に入ったら今度は『次期総代の修行だ』とか何とか言って、美袋財閥の端末組織の一つのトップにされたんです。でも、そこが退屈で退屈で、本当に何にもすることがないんです。ホントですよ!? 何かサインをする書類もないし来客もないし。でも学校が終わって寝るまでの間はずっと社長室みたいな所で座ってなきゃいけないし。本当にもう、私……息が詰まって死んじゃいそうだったんですよ……」
「だから、逃げ出してきた」
「……はい」
 喋って少し自分が情けなくなってきた。結局自分は逃げただけなんだと。
「ごめんなさい。先輩。なんか色々愚痴聞いてもらって」
「いいよ別に、暇だったし。でも――」
 古都は天城を見た。
 目が合った。
「でも息が詰まって死にそうになったからって息抜きに出て、抜きすぎてお陀仏なんて本末転倒、元も子も無いぞ」
 子供を叱る親のような口調だった。
 「それに瑞穂も言ってたけど、自分で埋め合わせは出来るのか? いくら暇な組織ったってトップが突然姿を消したりなんかしたら大騒ぎにならないか?」
「それは……大丈夫だと……思います」
 あの組織はもう、おしまいだ。実の所古都に付いている部下はもう殆どいないのだ。古都の配下にいる人間は全てが美袋財閥から使わされた親衛隊と呼ばれる古都を護衛するためだけの部隊だ。他の『ルール』の人間は誰も部下の振りをしているだけ。気を抜けば明日にでも命がない立場に、今の古都は置かれているのだ。だから、もしかすればこのまま帰らないでずっと天城たちと一緒に居る方が古都にとってはいいのかもしれない。
「そう、なら。取り敢えず依頼費は払ってもらえるんだろ?」
「え?」
「気が付いてないとでも思ったか? あのゴミ袋みたいな合羽被って来た子だろ?」
「お、覚えてたんですか?」
「覚えてるよ。あんなファッションセンスとは始めての邂逅だったからな。バッチリ顔も見てる。俺の歴史の中にしっかり書き込まれてるよ。『ゴミ袋ファッション現る』ってね」それに、声と物腰でも充分に解る――と付け加えた。
「…………ゴミ袋、はわわ」
 あれは違うんです、先輩。雪霜に嵌められたんです。と反論しようとしたが、雪霜にあの合羽を進められた時に喜んで着ていた自分を思い出して、自業自得だ。と口をつぐんだ。
「それと、これは当てずっぽうなんだけど、古都ちゃんは『ルール』のトップだろ?」
「…………ち、ちがうまつっ!」
 しまった。噛んだ。
「別にいいよ。俺の敵は『ルール』だけど古都ちゃんと敵対するつもりはないから。むしろ協力関係になる可能性のほうが高いからな。それに、大事なクライアントだ」
「……その、ありがとうございます」なんとなく礼を述べた。
「ああ。なあ、古都ちゃん。解体屋って言うのは急進派が放った時限爆弾だろ?」天城は訊いた。
「……おそらくは……」
「やっぱりか。多分急進派の狙いは外部組織との連携ではなくて美袋財閥に一泡吹かせることじゃないのか?」
「…………」そう言えばそんなことを雪霜が言っていたと古都は少し驚いていた。「多分、そうだと思います。すみません。あんまり役に立てなくて」
「いや、いいよ。ありがとう。それだけ分かれば十分だ」
 ベンチの上に置かれたコーラの缶が何かを訴えたそうにプルトップを上げている。
「あの、先輩」
「ん? なに?」
「本当にやるつもりなんですか?」
「ああ、これだけやられたんだ。ただですませて堪るかっての」
ぐっと握りこぶしを作ってから、背凭れにもたれてだらんと腕をたらした。「――って言っても、なんも策はないんだけどな」
「だったら――!」
 気が付けば古都は立ち上がっていた。
「止めてください! 危険すぎます! 死にに行くようなものです!」
 大声で訴えかけてから、自分が好奇の目にさらされているのに気が付いて「すみません」と小声で謝ってまたもとの場所に座った。
「ありがと」
 照れくさそうに、右手で空になったコーラの缶を弄びながら天城は言った。「でも、俺も瑞穂も――みんなもやるって決めたからさ」
「――そんな」
 途端に、深海の様な絶望が押し寄せた。
「私は。私は先輩たちに死んで欲しくなんてないんです! だから、だから――! どうして判ってくれないですか!」
「どうして判らない、か……」噛み締めるように呟いて空き缶を放り投げた。「それは多分俺があの街の人間だからなんだろうな――」落ちてきた空き缶を受け止めた。「だから分からないんだと思う――」 また手から離れた。
 そして空き缶が………………まだ落ちてこない。
「古都ちゃんはまだ大丈夫だ。この街に染まっていない。だから外に戻れる。だけど俺は――」
――手遅れだ。自嘲の笑みを浮かべた天城は、そう言った。
 空き缶が落ちて来た。
「そんなことありません!」
 古都はずい、と天城に顔を突き出して言った。「先輩はまだ戻れます! 絶対に戻れます。私が保証するんですから絶対です。雪霜が言ってました。この街の人間は腐っているから困ってる人間がいても誰も助けてくれないって、でも先輩は違います。私を助けてくれました。白菜ちゃんも助けました。会ったことはないけど夢前さんも助けました。先輩は外の人間なんかよりよっぽどまともな人間です!」
 はあはあと肩で息をしている。
 あっけに取られたように目を丸くして、天城は古都を見詰めている。
「あの、すみません。私なんかが生意気なこと言っちゃって」
「いや、いいよ。気にしないで。そうか、ありがと。またちょっと自信が出てきた」
そう言って空き缶を少し前に放り上げて立ち上がりざまに二三歩助走をつけると、思い切り蹴飛ばした。蹴られた空き缶は拉げ、綺麗な弧を描いて植木の手前のある自販機の隣のゴミ箱に入った。
「ほえ――……」古都あっけに取られていった。「サッカーでもやってたんですか?」
「いや? 昔野球をちょっとやってただけだけど?」そう言いながらまたベンチに戻る。
「そうなんですか? でも凄いです」
 古都はまるで自分のように喜んだ。
「公共の場で何やってのよっ!」
「のわっ!」と前のめりに天城の体が吹っ飛んだ。
「先輩っ!」
 悲鳴に近い声を上げて古都が駆け寄る。
「一般人に当たったらどうすんのよ筋肉馬鹿」
「酷いですよ瑞穂先輩!」
「へー、みーちゃんこいつの肩もつんだ?」
 ふぅん。と。
「うっ」一瞬たじろいだがここで退いたら負けだと自分を奮い立たせて「確かに空き缶を蹴って飛ばすのは良くないけど、怪我人をそんな風に殴り飛ばすのも良くないと思います!」と食って掛かった。
「お、女の戦い!? ドロドロのゴールデントライアングル」
 白菜が少し興奮気味に言う。
「あ………」さあ、と瑞穂の顔からサァと血の気が引いてゆく。
「え?」
 先ほどまでの気迫が嘘のように消えてなくなり、古都は肩透かしをされた気分になった。
「つい、いつもの調子で、ごめん、……大丈夫!? ねえ、天城君」
 先ほどまでの調子とは打って変わって、取り乱した様子で天城の元へ駆け寄った。
「お前なあ……自分でやっといてそれはないだろ」苦笑いを浮かべる。
「ほんっとごめんなさい。すっかり癖になってて……」
 癖ってなんだよ、天城が呆れたように呟いた。
 天城をはさんだ反対側でおろおろする瑞穂を古都は呆然と見ていた。
 ――こんな瑞穂先輩初めてだ。
 でも、そんないつもと違う瑞穂の様子を見て古都はどこから湧いて来たか分からない、どろどろとした感情を覚えた。それは怒りだった。
「瑞穂先輩! 天城先輩は私が介抱しますので離れてください!」
 自分でもぞっとするほど冷たい声だった。言ってから、何らかの報復があるだろうと腹をくくっていた古都だが、「……そう」とあっさり引き下がった瑞穂に少しばかり困惑した。
「そ、それじゃ、白菜ちゃん行きましょう!」
「は、はいです。あ、でも瑞穂お姉ちゃんは……」
「放っておけばいいのよ! あんな人」
「え、えいえいおー」
 そこはアイアイサーだ。と、天城が突っ込んだ。

 アパートまで天城を連れて帰ったのはいいがそこで古都はどうしようもないほどの自己嫌悪に陥っていた。
 ああ、もう。何で私あんなこと言っちゃったんだろ。

 ――放っておけばいいのよ! あんな人。

「はあ……」
「過去を悔いても、詮無いだけですよ」目の前に居る彼女は噂の夢前花華。「粗茶ですが……」とテーブルの上にお茶とお茶菓子を置く。
「ありがとうございます」
「いいえ。お客様を持て成すのはそのとき出来る最高の方法でやるのが私の趣味ですからどうぞ遠慮なく」
「はあ……趣味ですか」
 主義じゃないんだ。と心の中で呟いた。
「それで、片宮さんとなにがあったのですか?」
 あの一件以来瑞穂はアパートに帰って来ていなかった。そのことで古都は良心の呵責に苛まれて、でもそれをあの状況ならば仕方ない、と正当化する意見の中で板挟みになってどうしようもなくなって白菜の『着物のお姉ちゃんに聞いてもらえばいいのです』というアドバイスにしたがってここに来たのだ。
 今日あったことを出来るだけ端的に話した。話を聞いている間、夢前はずっと頷きもせず相槌も打たず。ただ古都の目と口元を一定の周期で交互に見詰めて、話を聞いていた。
「なるほど」と話を聞き終わると夢前は言った。「失礼なことを承知でお尋ねいたしますが……貴女は天城さんのことが好きなのですか?」
「え? あ、あの、それは……」
 赤くなってオロオロするがそんなことはお構いなしに夢前は「答えてください」といった。
「あ、えっと……好きです」
「全ての原因はそこですね。自分の好きな人が虐げられて頭に来ない人なんてよっぽど冷たいか無頓着ですから。貴女のその行動は理にかなっています。が、理屈には反しています」
「…………」ごくりとつばを飲み込む。
「聞けば片宮さんも反省していたようですし、少なくとも二つ目の言葉は必要なかったと私は思います」
 それは――。
 古都自身、自分で思っていることだった。
「あの……私これからどうしたらいいでしょうか?」
「それは貴女の決めることです。今から天城さんに自分の思いをぶつけに行くも、片宮さんに謝りにいくも、何もせずに逃げ出すも、あるいは静観を決め込むも――全て貴女が決めることです。これは他の誰でもないあなたの人生なのですから。最終判断は自分で決めるべきです」
「――……」
 その言葉で古都の中で何かが吹っ切れたのは間違いなかっただろう。だから、「最後のを除いた全部をやるっていうのもありですか?」
「ええ、貴女がどうするかは貴女の勝手です。――ああでも、あまり欲張りすぎると全てをなくしますよ。私みたいに――」
 儚げに幽かに笑った。そこには少しばかりの自虐的な何かが混じっていた。
「夢前さん?」
「それと、最初のを遂げるつもりなら私は徹底的に妨害致しますので覚悟してください」
 挑戦的な笑みだった。
 部屋を出るとドアのすぐ前で白菜が待っていた。
「どうでしたか?」
「うん。ありがと。いいアドバイスがもらえた」
「そうですか。良かったです。それじゃ、瑞穂お姉ちゃんを迎えにいきましょー」
「そうね。でも、どこに行けばいいのかな」
 まだ噴水前のベンチに居る可能性は低い。もとよりあそこは街の外だ。もしかしたらもう帰って来ているかもしれない。
「大丈夫です。私にまかせちゃってください。九十パーセントの確率で瑞穂お姉ちゃんがいる場所がありますから」
「ほんと?」
「はい。いろいろ、お兄ちゃんから聞き出しちゃいましたから――バッチリです」
 目を輝かせて白菜は言った。少し心配な気もしたがそれでも当てがないよりあるほうがいいので、白菜の言う九十パーセントの所につれて行ってもらうことにした。
 たどり着いたのはこの街の中央を流れる川にかかるこの街唯一の橋だった。そしてそこはいつもビルの最上階から古都が眺め続けていた場所でもあった。何か因果なものを感じたような気がした。
 そこに瑞穂はいた。橋の欄干に凭れて体育座りをして顔を膝の間に埋めていた。
「……とっても落ち込んじゃってますね」白菜が言った。
「あ、あの。せんぱ…………」と近づいて声を掛けようとした古都の動きが不意に止まった。
 そこに縫い付けられたかのように動けなかった。
「……うっ、あぐっ、うぅっ、ひぐっ………………」
 瑞穂が泣いていたからだ。それも嗚咽を漏らしながら。
「お姉ちゃん」と、どうしていいか分からなくなって戸惑っている古都とは対照的に、白菜は至極冷静な声で言った。「古都お姉ちゃんが謝りたいって言ってますよ」
 しゃくり上げてから、ゆっくりと瑞穂の頭が持ち上がった。目と目元を真っ赤に腫らした瑞穂と目が合った。
「あ…………」その眼差しに射すくめられて古都は声が出せなかった。「お姉ちゃん」と言う白菜の声でなんとか自らの喉を奮い立たせて「あの、先輩」と言った。
「先ほどは申し訳ありませんでした!」今にも土下座をしそうな勢いで謝った。
「…………」それに対して瑞穂はキョトンとしていた。「……どうして……謝るのよ……」
「だ、だって先輩。私……!」
「あなたは……何も悪いことなんて……してないじゃない。むしろ……ひくっ……悪いことを……ひぐっ……じだのは……」
 そこまで言ってまた声を上げて泣き出した。
「……瑞穂お姉ちゃんは、本当はとっても泣き虫な女の子なんだそうです」白菜が言った。
「そうなの?」
「はい、昔からそうだってお兄ちゃんが言ってました。だからなにか泣きたいこと――悲しいこと辛いこと――があればいつもここに泣きに来るらしいです」
「それで……」
「もし泣いているならここだって思ったんです」
「…………」
「しばらくそっとしておいてあげよう?」
「そうね」そう答えるも、古都の表情は心配一色に彩られている。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」まるで心を読んだかのようなタイミングで、白菜は言った。「そんなことより、古都お姉ちゃん。ちょっと付き合って欲しい所があるんです。ついて来てください」
「え? あ、ちょ、ちょっと」
 古都が答える前に白菜は手を引っ張って強引に連れて行こうとする。「どこへ行くの?」
「タイムサービス。今日は挽肉がお買い得なんです」
 えへへー、と白菜が笑った。

 パンパンに膨れ上がった買い物袋を足元に置いてベンチに座った古都は「私何やってんだろ」と一人ごちた。
「先輩に謝りに来たはずなのに……」足元の買い物袋を見た。「なんで『ひき肉二百グラム超お買い得セール。欲しがりません時間までは……!』に参加してんのよ!」
 でも、今日の夕飯は白菜ちゃんが作ったハンバーグか。白菜ちゃんのご飯おいしいもんな……。
「古都お姉ちゃん。よだれ」
「はっ、一応お嬢様キャラの私がっ!?」
「なんかちょっとお兄ちゃんとキャラ被ってますよ。はい、コーヒー牛乳とカフェラテどっちがいいですか?」
「…………」
 殆ど同じじゃない? と思いながらも「コーヒー牛乳」と答えて白菜からカップを受け取った。
「あつっ、」
「ゆっくり飲まないと舌をやけどしちゃいますよ?」
「そうよね。はあ、『ぬる〜い』ってないのかしら」
「ありますよ?」
「ほんとに!?」
「この前テレビでやってました」
 へえーあるんだ、と呟いて、ふぅーと冷ましながらコーヒー牛乳を少し飲んだ。やけどを負ってしまったのか舌の先がビリビリと痺れた。
「それじゃあ、これを飲んだらいきましょー」
「でも、まだ先輩、泣いてたらどうする?」
「大丈夫です。最終兵器がありますから」
「最終兵器?」
「うん」頷いてごそごそと買い物袋の中からチューペットを出した。
「なんで冬にそんなもの買ってるのか気になったけど……、そういうことだったのね?」
「はい、ちゃんと果汁入りのヤツ買いましたから。これもお兄ちゃんからの受け売りです」
「これ、でも凍ってない?」
 いまは冬だ。
「凍ってないとダメだそうです。ぶるぶる」両手で体を抱きしめて寒そうな仕草をする。「それはそうと……お兄ちゃんのこと好きなんですか?」
「げほっげほっ」
 咽てしまった。
「それで? どうなんです?」
 目を輝かせながらの質問は、色々な要素を最大限まで還元した純粋な好奇心しかなく、その澄んだ瞳に負けて古都は「好きよ。凄く好き、どうしようもないほどに好き。もう今すぐに抱きしてめてメチャクチャにして欲しいわ」なかば自棄だった。「それに、一目ぼれだったし」
「じゃあお姉ちゃんに宣戦布告ですね。それから着物のお姉ちゃんも――」
「ああ、夢前さんなら先に宣戦布告を言い渡されたわよ。あなたのお兄ちゃんモテまくりね」
「私のお兄ちゃんなんですから当然です」
 えっへんと胸を張る。
「むっ……」
「どうしました?」
「ねえ、白菜ちゃん。何カップ?」
「ギリギリCだそうです。瑞穂お姉ちゃんが歳の割りに大きいわねー。って言ってました。それがどうかしたんですか?」首を傾げてまるで小動物(というか小型犬か仔猫)のように古都の瞳を見つめる。
「え? ううん。なんでもない……ないでもない」
 負けた……。中学生くらいの子に負けた。
 今まで生きてきた中で最大ともいえるショックを受けた古都は、しかし、そう言えば白菜ちゃんて何歳なんだろう? と気になって「ねえ白菜ちゃん」と問いかけた。「白菜ちゃんて何歳?」
「私ですか? 十五です」
 うっ、一つ下。
「が、学校は?」
 ぴくぴくと頬が痙攣している。
「行ってないです」
「え?」
 痙攣が止まった。
「行ってないって?」
「うーん、なんて説明したらいいのかわかんないんですけど、いろいろ事情があって私いままで『学校』って言うものに行ったことがないんです」
「そう、なの」
 ちょっと自分と似ているな。と思ったが、それ以上に何かありそうな気がして、余計に不憫に思えて古都は「学校に行ってみる?」と訊いた。
「行けるものなら行ってみたいです。お兄ちゃんや瑞穂お姉ちゃんの話を聞く限りとっても楽しいところみたいですから」えへへ、と儚げに笑って白菜は言った。「でも多分、私には戸籍もなければ国籍もないんです。だから、そんな公共の場に出ることは未来永劫無理なんだと思います」
「そんなことないわよ」
「え?」
「お父様に頼めば、うちの付属の中等部なんだけどそこになら転入できるはず」
「そこってもしかしてお兄ちゃんも?」
「高等部の方に居るわよ。昼休みにでも、中庭で一緒にご飯食べよ?」
「はい!」嬉しそうに頷いた。「じゃあ、今の一件が落ち着けばその情けを素直に受け入れちゃおうと思います」
 予想はしていたが、ある部分では予想外の答えが返って来て古都は「今すぐじゃないの?」と言った。
「今はお兄ちゃん達も古都お姉ちゃんもみんなとっても忙しいから、そんな迷惑掛けられません。ですから、後のごほうびに取っておきますっ」
 ぱあ、と表情を輝かせていった。
 紙コップの中を空にした所で二人はベンチから立ち上がって蹴らずにゴミ箱の中に紙コップを捨てて橋に向かった。
 日はもう暮れかかっていた。
 古都は今日一日の事を考えて長かったなぁ……。と心中呟いた。朝にこっそりビルを抜け出して、解体屋に襲われて天城先輩に助けられて、一緒に隣町まで買い物に行って、瑞穂先輩と喧嘩して、夢前さんの人生相談の後にこの状況。チューチューの十二本入りが五袋それにオレンジジュースが三パック。それが古都の持っている袋の中身。白菜の方には特売で買った挽肉が五パック入ってる。
「……ねえ白菜ちゃん」
「はい?」
「中身を交換したりしない?」
「どうしてですか?」
「いや、ごめん。頑張る……」
 年下にこんな重いもの待たせられない。と思い直してだけど……。「ねえ、ちょっと休まない?」
「もう少しでだからがんばろー。おー」
 楽しそうに右手を高く突き上げる。
 ワザとやっているじゃないだろうか。といぶかしみながらも白菜の純粋な眼を思い出してそんなわけないか、と思い直した。
 そんなわけで古都は明日筋肉痛になる事を確信しながら橋への道のりを歩いた。
「お姉ちゃん!」と白菜が駆けて行く。その先にはまだ欄干に背中を凭せ掛けて体育座りのままの瑞穂がいた。
「……しーちゃん」
 顔を上げた瑞穂は泣いて居なかったが眼の周りが真っ赤だった。
「はい、お姉ちゃん」とチューチューのオレンジ味を袋から出した。
 受け取った瑞穂は半分に折って右手にあったほうを咥え左手にあった方を白菜に渡した。
 それから自棄食いみたいに半分のチューチューを食べて、ほう、と溜息をついた。
「ありがとう。しーちゃん」
 いつもの調子に戻った。
「それじゃあ、古都お姉ちゃんにバトンタッチです」
 少し離れていた所で見ていた古都のところへ笑顔で走ってきて、ぱん、とハイタッチをしてからぐるりと後ろに回りこんで――。
「ちょ、ちょっと……!」
 どーんと背中を押した。
 ニ三歩よろけて瑞穂の前に立った古都は、覚悟を決めたように大きく息を吸い込み、「えっと、その……単刀直入にお訊きします!」
「…………」瑞穂は何も言わずに古都を見据えている。
「先輩は天城先輩のことが好きなんですか?」
「…………」
 返事はない。
 しばらく静寂が世界を支配したように思えた。
「ええ、私は天城君のことが好きよ」毅然とした声。「愛しているわ。それがどうしたの?」
 なんでもない風に答えた。その答え方の自然さに少したじろぎながらも、古都は一度深呼吸をしてから目を瞑った。
 大丈夫。大丈夫だから。
「私、美袋古都は現刻を以って片宮瑞穂に宣戦布告します!」
 言ってから物凄い後悔が押し寄せてきたが、もう後には引き返せない。
 ――と、瑞穂がゆらりと立ち上がり、突然古都に飛び掛った。
 パァン。と乾いた音が響いた。
 右肩から地面に叩きつけられた古都は「うっ」と呻いた。
 一瞬、状況が飲み込めなかった。
 なんなの? 
「逃げるわよ! しーちゃん!」
「はいです!」そう答えて白菜はハンドバッグの中から自動拳銃を取り出して瑞穂に向かって投げた。片手で受け取とると、瑞穂はすぐさま銃声の聞こえた方向へ銃口を向けると三度引き金を絞った。
「逃げますよ!」と白菜に手を引かれて立ち上がろうとしたが、腰が抜けて古都は立てなかった。
「あ、あれ? また?」
 進歩して無いなぁ……。
「それじゃあ……」と少し考えてから「よし!」と何か覚悟を決めたかと思うと白菜は古都の前で背中を向けてしゃがんで「私がおんぶしちゃいます!」とやけに張り切った声で言った。
「で、でも……」
 どう見ても古都より小柄な(でも胸はある)白菜が古都を負ぶってここから逃げ切れるとは到底思えない。だから、古都は無い気力を振り絞って立とうとした。しかし、所詮ないものは無い。結局膝が笑いその場にぺたんと腰を落としてしまった。
「とにかく早くしてください! 死んじゃったら元も子もありません! 早く!」
 必死の形相の白菜にせかされて古都は彼女の背中に掴まった。
 掴まった白菜の背中は小さく。でも驚くべきことに、軽々と古都の体を持ち上げていた。
「それじゃあ、全速力でぶっ飛ばしますので、絶対に振り落とされんなよ! べいびー!」そう言い切った時には既に地面を蹴っていた。
「――――!?」
 途端に物凄い風圧が古都を襲った。俯きながら上目遣いで前を見ることによって眼を開けていられるようにした。その速さは何かの乗り物、自転車より早く車より遅いくらいの早さだった。
「白菜ちゃーん!」
「なんですかぁー!」
「速すぎない!?」
「大丈夫です! この道は六十キロまでは平気ですから……!」
 いや、そういう問題じゃなくって、と突っ込もうとしたが、急に白菜が立ち止まったために、慣性の第一法則に則って体が前方にに放り出されそうになり、恐怖で声が出なかった。
「どうしたの?」
「待ち伏せです……バンジー急須ってヤツです」
「『万事休す』ね」
 間違いを正しながら、よく考えればそんな事をやっている場合じゃないんじゃ? と古都は思った。
そしてそれは正しかった。
 ブォォォォン。とやけに耳に残っている音がして古都はぎょっとした。
「あ、……」
 今朝のチェーンソーだった。しかも周りをその子分みたいなヤツ(ナイフや刀を構えた集団)によってがっちり固められている。
「どうしましょう。さっき瑞穂お姉ちゃんに武器渡しちゃったから完全に丸腰です」
「……ヒジョーにピンチ?」
「はい。とっても……」
 再び『ブォォォォォン』と音がして二人同時に振り向いた。
「……お姉ちゃん携帯持ってます?」
「え、ええ。一応は」
 チェーンソー女、もとい解体屋はじりじりと二人に詰め寄ってくる。それにあわせて二人も後退する。
「お兄ちゃんの番号分かります?」
「天城先輩の……あっ」
 そう言えば契約の時に聞いていた事を思い出して古都はコートのポケットから携帯を取り出し、電話帳を呼び出して『天城』を選択した。
 ――お願い、早く繋がって!
 そう心で願うも虚しく、一向に天城は電話に出ない。
「繋がりました?」
「ううん。まだ……」
「ああもう! お兄ちゃん何やってるの!」
 白菜が天を仰いだ。
 ――瞬間。大気が震えた。
 右手のビルの三階の窓から煙と瓦礫が噴出した。
「――――!」
 落下してきたコンクリートの破片を避けるようにその場から一気に跳び退く。瞬間、銃声が響いて解体屋の周りに居た刃物集団が倒れた。
 反射的に頭上を見上げていた。
「え?」
 夕日の中に人影があった。

           ※※※

 たまには、こうしてゆっくり布団の上でぼけーっしているのもなかなかいいかもしれない。
「それにしても――」
 昼間の古都ちゃんの事を思い出して俺は考えた。
 どうしてあそこまで瑞穂に辛く当たったんだろうか……? まあ、あの意見には概ね賛成だけど。瑞穂の身から出た錆、とでも考えればそれなりに納得の行く答えになる。
「とにかくだ」
 暇だ。物凄く。
 やっぱり前言は撤回しておこう。
 こうやってぼーっとしてると確かに気楽だが、でもこのまま、ぼーっとしてたら脳が腐って耳と鼻から青緑に気持ちばかりの茶色を混ぜた液体になって流れ出そうだ。
「…………」
 想像してみると物凄くグロテスクだ。
 なんか気分が悪くなってきた。
「コーヒーでも飲もう」
 絶対安静とは言われたが動き回るなとは言われていない。
 それにしてもこの怪我いつ治るんだろうな。
 コーヒーメーカに安物のブレンドを入れ、湯を沸かした。その間にカップを暖めて、俺は再び、ぼーっとしてしまった。
 仕様がないので俺は本棚から読みかけだった『ドクラ・マグラ』を取り出して適当にページを捲るとコーヒーメーカのアラームがなった。本を閉じ、暖めたカップにコーヒーを注いだ。立ったままコーヒーを一口飲んでほっと一息ついたとき、『こんこん』と言うよりはむしろ『だんだん』に近いノックがされて、俺はコーヒーカップを持ったままキッチンを出て卓袱台の上にカップを置いてからドアを開けた。
「夢前さん。どうしたんですか?」
「天城さん。大変です」
 そういう割には物凄く落ち着いている。
「古都さんたちが狙われています」
「狙われてるって……」
「先ほど挽肉の特売セールがあってそれに行ってきたのですが、帰りに怪しいねずみを二三匹見つけまして、後を追った所そのネズミは白菜さんと古都さんたちをつけていました。一応片付けておきましたが、多分他にもまだ――」
「……そう、ですか」
 つけられていた。白菜が付けられる理由は……多分ない。それに対して古都ちゃんは理由なんてありすぎて分からない。
 となると、善は急げだ。
「夢前さん。手伝ってもらえますか?」
「ええ、もちろんです。白菜さんも古都さんも、それに瑞穂さんも――みんな私の家族ですから」
部屋に戻ると箪笥の上から二段目から弾薬とベレッタを取り出して、弾倉を差し込み、遊挺をスライドさせ初弾の装填を確認してから左脇のホルスターに差した。ついでに頭の包帯を解き放った。
それから上着の裾にそれぞれナイフを仕込んだ。保険にと、手榴弾を二個、ベルトに取り付けたホルスターに。
「しゃぁ!」
 気合を入れてから部屋をでた。
 ロビーで夢前さんは待っていた。いつもと変わらぬ和装に、身の丈ほどありそうな刀を携えて。鞘には龍が描かれている。
――黄龍。
 それがこのその刀の名前(似たようなデザインで青龍と言うのも在るが、あれは名前の通り少し青味掛かった配色になったいる)。黄龍とは四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)の中心的な存在で中央を守ると言われている龍である。因みに夢前さんは四神の名を冠した刀も持っているという。
その中で最強なのが黄龍らしい。
 でも刀に最強もクソもあるんあだろうか。せいぜい切れ味の違いだけなんだろうけど、究極的なところ切れて斬れればいいだけじゃないのか?
「そんじゃ、行きましょう」

 街に出てみるとよくさっきまで、ぼーっとしてられたな。と自分で感心するほどに、空気が張り詰めていた。
 こんなのは初めてだ。 
 まさに破裂寸前の水風船だ。少しつついただけで弾けてしまう。弾ければ中からどうしようもないほどに黒く犯された水が溢れ出し全てを飲み込んでしまう。
「それでは、ここで二手に分かれましょう」と夢前さんが言った。
「合流地点は?」
「『橋』です」
「りょーかい」
 俺の答えを聞く前に夢前さんの姿は消えていた。
 ほんと、忍者みたいだ。
 案外本当に忍者なのかも。
「さあ、どうするか」
 どうするもこうするも。白菜と古都ちゃんを助けに行くんだから、まずは二人の居場所を探らないといけない。
 どこに居るだろうか……。
 しばらく考えてからある答えにたどり着いたがその前に。
「……でて来いよ」
 早速囲まれた。
 ぞろぞろと路地の脇から現れてくる。
「『ルール』だな?」
 問いかけてみるが返事はない。しかしそれで十分だ。『ルール』だろうが何だろうが俺に仇名すヤツは例外なしにぶっ殺す。
 ホルスターからベレッタを抜き目の前の二人を瞬殺する。そのまま前方に転がる。足元で銃弾が跳ねる。転がった先にあった牛丼屋の看板に一時的に身を隠して体勢を整える。
 ふー、と息を吐いてから少し吸って看板から飛び出した。走りながら残ったヤツらを狙い撃ちにする。カランカランと薬莢が地面を転がる。
「――はっ、この程度か。クソ袋」
 あっという間に片は付いた。俺は死体から予備弾倉と一丁グロッグを拝借して、右脇のホルスターの差し先を急いだ。
 白菜達は中央街にいる!
 はあはあ、と息を切らしながら俺は全力疾走する。
 クソッ、だからバイクが欲しいんだ。
 全力疾走するヒーローなんて格好が付かない。それに何より目立つ。ただでさえ普段から人の怨みを買っている人間が、こんなメインストリートを全力疾走していれば自ら進んで的になっているのと同じだ。しかしどういう訳か、先ほどの襲撃以外にはこれと言った妨害はない。街が静か過ぎる。
 ――何か……物凄く嫌な予感がする。
「ええい! クソッ!」
 その予感を振り払うかのように俺は加速する。走れ走れ走れ! 足がもげるまで足を動かせ。蹴れ蹴れ蹴れ。地面がほれるほどに。腕を振れ、振れ振れ振れ! 千切れるほどに!
 パァンとどこかで銃声が響いた。俺はそれで直感して、近くのビルに登った。階段を一気に駆け上がり十階建てのビルの屋上に出た。
「…………!?」
 スナイパーライフルを橋に向かって構えている狙撃手がいた。そいつは俺を見て酷く驚いていたがお構いなしだ。男が腰のホルスターからシグサワー自動拳銃を抜き取る前に俺は銃口をピッタリとそいつの額に向けて、その間抜け面に新しい穴を開けてやった。
 男の死体からスナイパーライフルをかっぱらってスコープを覗き込む。
「……ちっ」
 橋の両側に、瑞穂を取り囲むようにして敵がうじゃうじゃいる。一人なのは多分、白菜たちを逃がすためだ。それにしても、なんだこの数は。多すぎる。戦争じゃねえんだから、そんなに人はいらねえだろ。これじゃあまるでリンチだ。弾がある限りそこから瑞穂を取り囲んでいる連中を狙い撃ちにしたけれど、そんなの殆ど焼け石に水状態でなんの役にも立たなかった。無駄に時間を浪費しただけだった。ライフルを地面に叩きつけて立ち上がる。
「こりゃ急がねえと――」
 間に合わない!
 俺は辺りを見渡して最短で橋に到達するコースを探した。でも下は敵さんの兵隊でとてもじゃないが単身突破できるような状態じゃない(クソッ、さっきまで居なかったのに)。
 俺は、地上路を諦めた。
 橋までの間には同じくらいの高さのビルが、だいたい六メートル間隔で連立している。
少し下がって、一気に助走を付けて俺は跳んだ。助走をした時『ぼぉぉぉぉう』と言う風の音が聞こえた。
 香港のアクション映画も裸足の跳躍で隣のビルに着地すると、跳んだ勢いを残したまま、また走り出す。「おらぁっ!」二度目の跳躍。ビルの端を蹴り空中を漕ぎながら前進する。まるで空を飛んでいるようだ。
 三つ目のビルで、向こう側の、四つ目のビルからの銃撃を受けて俺は身を伏せた。
「ああもう! クソ袋が!」
 敵は全部で三人。俺はそれを三発の銃弾で仕留めた。
 クソ袋に銃弾はもったいない!
 せっかくさっきまで続いていた勢いが途切れてしまった。仕切りなおしに一度深呼吸をしてから助走をし、全身でビルの淵を蹴った。体が一度沈んでから、グンと一気に伸びる。俺は風だ。風になった。この体は思うがまま飛んでいける。
 五つ目も六つ目も難なく飛び移り最後の七つ目のビルを前にしてまたしても銃撃を受けた。空からだった。
「ヘリか!」
 機底に取り付けられた機関銃と、コックピットから体を乗り出した男の持つサブマシンガンから降り注ぐ銃弾の雨が、前方から迫り来る。屋上のコンクリートを砕けて破片が飛び散る。俺は踵を返すと全力疾走し、屋上の階段の錆びた扉に体当たりをしてその中に逃げ込んだ。
「……クソ! 目の前だってのに!」
 ヘリのプロペラ音が遠ざかっていく。
 次だ。次は絶対に仕留める。
 再びヘリのプロペラ音が近づいてくる。
 俺は外に飛び出した。途端に機銃のマズル・フラッシュが迸る。足元で銃弾が爆ぜる。
 俺は手榴弾のピンを抜いてヘリの上部に向かって投げた。
 手榴弾とヘリが申し合わせたかのように接近してゆく。
 よし!
 取り敢えず心の中でガッツポーズ。
 その瞬間テルミット反応を起こした手榴弾が爆発的に燃え上がり、飛び散った破片と爆風がプロペラに壊滅的な被害を与えた。浮力を失ったガンシップは機首を地面に向けてそのまま真逆さまに落ちてゆく。少し遅れて腹の底に響くような爆発音が轟いた。
「ざまあ、見ろッ! こンのボケナスッ!」
 中指を立てる。
 ファックサインはお決まりだ。
 助走を付けて最後のビルに飛び移った俺は身を伏せて、橋の上の様子を窺った。
「…………ちっ」
 さっきより状況が悪くなってやがる。敵の数も増えてるし……。ああもう、夢前さんはまだか。
今すぐにでも瑞穂の救援に向かいたかったけどそれは俺の役目じゃない。
 俺は屋上の道路側に移動してすぐ下を覗き込んだ。
「いた! って、解体屋もいるじゃねえか!」
 階段に向かって走り出す。
 俺は扉を蹴り開け一気に階段を駆け下りた。
 クソッ、間に合ってくれ。
 階段を半分ほど下りたところで俺の脚が止まった。
「ちっ、嘗めてんのか?」
 天井が崩れて階段がなくなっていた。まるでこうなる事をあらかじめ知っていたかのようなシチュエーションだ。俺は仕方なくその階のフロアに入った。
 何もないフロアだった。唯一障害物と言えるのはこの階を支えている柱だけ。俺はベレッタを構え、壁に背を向けて慎重に窓際に移動する。
 窓際まであと三メートル。突然灰暗いなかでマズル・フラッシュがほとばしり俺は地面を転がりながらすぐ近くの柱に身を隠した。それと同時にサブマシンガンの銃撃はやんだ。
 敵は一人か? いやもしかしたら撃ってきたのが一人だった。ってこと……ああもう、めんどくさい! 手榴弾のピンを抜いて先ほどマズル・フラッシュが見えた方向に転がす。硬質なコロコロコロと言う硬質な音がフロアを覆うコンクリートに反射して虚しく響き渡る。しかしそれも耳を劈くほどの爆音によってかき消された。窓が割れ、飛び散った手榴弾の破片が恐らく敵を貫いているだろう。俺は一気に窓に向かって疾走した。そして背中から飛び込んで、辛うじて生き残った俺の後を追って窓から顔を出した奴らの額を瞬時に狙い撃ちにしてやった。落下しながら弾倉を取り替えていると「何やってるの!」と 白菜が叫んだ声が聞こえた。ふん、と笑ってから遊挺を引き、激鉄を起こす。
 お前が何やってんだ。お前は俺の妹だろうが!
 グロッグも抜いて二挺拳銃――落下しながら解体屋の周りにいる刃物集団めがけて乱射する。乱射するがもちろん狙っている。
 全弾撃ちつくした所で解体屋を除けば殆ど立っている者はいなかった。
膝をばねに、体全体で衝撃を吸収した俺は、すぐさま空弾倉を捨て新しいのに取り替えた。
「大丈夫だったか!」
「お兄ちゃん。ギリギリ過ぎますよ!」
「ああ、すまん。それよりお前俺がやったグロッグは?」
「瑞穂お姉ちゃんです」
 なるほど。
 そう言えばあれから帰って来てなかったんだっけ。
 ……橋か。
「また泣いてたな」
 いつもそうだからな。
 いまはそれより。
「古都ちゃん。怪我はない?」
 この中で唯一、一般人に近い(感覚だけだが)古都ちゃんの事を気遣う。白菜の方はなんか絶対大丈夫な気がする。
「は、はい! おかげさまで。このとおり!」
 ぐっ、と力瘤を作る仕草をする。
 なんかちょっと違う気がするけど。
「腰が抜けちゃいましたけど……」と舌を少し出していった。
「そんじゃ、俺が敵を引き付けるからその間に逃げてくれ。最終合流地点はアパートだ」
「りょーかいです!」白菜が答えた。
 ふう、と息を吐いて解体屋と退治する。
「あの、先輩!」と古都ちゃんが言った。「絶対に死なないで下さいね」
「当然だ」
 こんなショボイ死に方して堪るか。
「それじゃあ、な。古都、しっかり逃げ切れよ!」
「は、はい!」と古都ちゃん……あれ、俺さっき古都ちゃんのこと呼び捨てにしたな。まあいいか。よく戦闘になったら人格変わるって言われるし。
 解体屋は冗談みたいなスピードで駆け抜ける古都を背負った白菜には見向きもせず、俺と対峙していた。
「追わなくてもいいのか?」
「…………」
 返事は無し。朝と同じだ。まあ、いい、そうしてくれるなら好都合だ。
 さぁと風が吹いた気がした。
 二人同時に地面を蹴った。
 向かってくる解体屋目掛けて発砲するが当たらない、当たる軌道の弾丸も、チェーンソーの刃のない、真ん中の部分で弾き落とされる。
 距離がつまり解体屋はチェーンソーを振り上げた。とっさに横に飛んで振り下ろされた一撃をかわす。目標物を失ったチェーンソーは空を切り、そのままアスファルトを砕き地面に突き刺さった。驚くべきことにチェーンソーの刃は壊れて飛び散るなどといったことにはなっていない。物凄く上丈夫だ。いや、それ以前にどんなバカ力してんだ。ゆらりとした動きでこちらを向いた。そこを狙って撃つも全て側面で弾き落とされる。
「ちっ、化けモンかよ」
 なんであんなに早くチェーンソーをコントロールできるんだ。
 ゆらりとチェーンソーが揺れ、最大限まで後ろに引かれたところでピタリと一瞬静止して――消えた。
 早すぎるのだ。速すぎて振り下ろされるチェーンソーを視覚が認識できない。
「――――っ!」
 勘だけを頼りに頭の上で銃身をクロスさせる。
 両腕に像の体重を受けたような衝撃が走った。ガリガリと音を立てて銃身を削るチェーンソー。どう考えたって勝ち目のなさそうな鍔迫り合い。
「――くっ」
 俺は腰に重心を置き、力を溜めてそれでも何とか耐える。
 なんつーパワーだ。こいつ。
 ――と。
「――――な」
 嘘だろ。
 俺は、砕けたコンクリート片を踏んでバランスを崩してしまった。

          ※

 なんなのよこの数は! 
 瑞穂は五人目のスキンヘッドの男をグロッグの底で殴り倒しながら心中に吐き捨てた。
こういうのを人海戦術というのか、と冷静に分析しながらも瑞穂は焦っていた。正直、この人数を相手に勝つ自信などないし、救援が来るまで持ち応えられるかどうかも怪しかった。幾らこの街で生まれ育った人間といえど、瑞穂は少女である。基本的な力や体格で勝る、しかも札付きの悪漢共に勝てるはずもなく、次第に追い込まれていく。
 銃弾は既に底を尽きた。せめて予備弾倉も用意してくれていれば――。などと、さっさと走り去っていった妹分に心の中で恨み言を吐くも、後頭部を襲った一撃がその詮無い思考をストップさせた。
瞬間、視界が揺らいで体中の力がぬけそうになる。それを気力だけで踏ん張って、目の前のサングラスを掛けた男を睨みつける。男は下卑た薄ら笑いを浮かべた。未だ力の入りきらない足に全身全霊を込めて踏み込み、拳を思い切り男の顎に打ち込んだ。顎をかちあげられた男は勢い良く仰け反り、続いて放たれた足刀蹴りが鳩尾に決まって、後ろに居た仲間たちを巻き添えにして二メートルほど飛び、仰向けに倒れた。
 ぶんぶんと左右に頭を振って、何とか気を保つ。まだまだ敵はいる。どこからともなく次々と湧いて出てくる。一人を相手にするのにこれだけの人数が必要だろうか。無論、必要ないだろう。いくら、片宮瑞穂がこの街でも屈指の実力者といえど、所詮は人間(しかも少女だ)。怪物でない以上はこれほどまで人員を動員せずとも、訓練をつんだ実力者が十人もいれば簡単に取り押さえることも可能であろう。否、彼らの目的は『捕獲』ではない。『殺害』だ。しかし、そしにしたって、この人数はやりすぎである。
 次々と襲い掛かる暴力の連鎖を掻い潜るたびに瑞穂の体力は、確実に消耗さる。このままでは力尽きるのも時間の問題だろう、と。もう、立つ足に力が入らなくなって、振り上げる拳が鉛のように重くなった頃。瑞穂は自分の死を意識した。
 ――こんなところで、私は死ぬのか。でも、多分。この悪漢たちを見れば解る。彼らは確実に殺傷できる武器を持っていない。大方、殺しさえすれば好きにしても良いといわれたのだろう。自分で言うのもなんだけど、私は可愛いほうだから。だからきっと、まともに殺されない。嬲り者にされて、それからゆっくりと殺されるんだ。そんなの――。そんなの嫌だ。私は、私はこんな所では死なない。いや、死ねない!
 もう痛覚どころか触覚さえ脳内麻薬で麻痺してきた拳を目の前の、既に個体として認識できない悪漢の眉間に叩き込み、立つことすらも放棄しそうな脚に鞭を打ち、顎を蹴り上げる。
 それでも溢れてくる。幾らでも、まるで死体に群がる蛆虫のように。
 誰かの拳が鳩尾を捉える。体をくの字に曲げて、うぅ、と呻く。嘔吐感を耐える。その所為で無防備になった後頭部に握り合わされた拳が落とされる。目の前を火花が散った。足を払われる。受身を取ることも出来ずに、瑞穂は地面に転がった。コンクリートの冷たさがとても心地よかった。
 これから自分が置かれる状況を想像してみたが、頭が上手く働かず、それ以前にそんなことを想像もしたくなかったので何も思い浮かばなかった。ただ茫と、これから自分が死ぬのだな、という、暗澹とした思いだけが瑞穂を支配していた。
「――――」
 誰かが呼んでいるような気がして瑞穂は閉じかけた、水を含んだ泥のようにはりつく重い瞼を気力だけでこじ開けた。
「――――」
 赤だった。
 眼を開けた瑞穂の眼に最初に飛び込んだ色。
 それが飛び散り、眼に飛び込んだ血液であると認識するまでにはかなりの時間を要してしまった。
「瑞穂さん。気を確かに!」次々と悪漢を斬り倒しながら夢前は叫んだ。
 目の前で繰り広げられている光景はまさに地獄絵図そのものだった。何の迷いもなく、ただそれが当然のよう夢前の白刃は目の前の命を喰って行く。
 ――その光景に、瑞穂は本能的な恐怖を覚えた。
 目の前にいるのは良く知っている。自分が大家をしているアパートの住人で、年上の女友達のはずなのに、まるで誰か知らない、他人のように思えた。あえて例えるならば、この世ならざるもの、と言うべきか――。視界を染める滲んだ赤がそれをさらに演出していた。
「大丈夫ですか?」そう尋ね、手を差し出した夢前は既に瑞穂が知っている彼女に戻っていた。
 一瞬戸惑ったが、瑞穂は差し出された手を掴み辛うじて立ち上がった。
「ありがと」
「いえ、私がもう少し早く気がついていれば」
「そんなことない。ありがと、正直ちょっと諦めかけてたから」
 助かったわ。と瑞穂は言った。
 ――大分ダメージを受けたけど、まだ、いける。
「そんなことより、夢前さん。弾持ってる?」
「ええ、一応用意はしてきましたから」袖の中から弾倉を取り出して瑞穂に渡した。「少し休んでいきませんか?」
 瑞穂の身を案じての問いだったが、しかし当の本人は「大丈夫」と言い張って、鈍器に成り下がって久しいグロッグに新しい弾倉を叩き込んだ。
「急ごう、夢前さん」眼を拭い、そう言うと瑞穂は白菜たちが逃げた方へと走り出した。
 もう体力は限界に近いはずなのに不思議と体が動いた。まだいける、と瑞穂は思った。
「瑞穂さん。あれ!」と前方を指して夢前が言った。
「ええ」と瑞穂は答えて走りながらグロッグを構えた。

          ※

 ――と。解体屋の足元で銃弾が跳ねた。それで一瞬、解体屋の気が逸れた。俺は倒れそうになるのをギリギリの所で踏ん張って転倒を免れる。すぐさま切り返し、足刀蹴りを解体屋の腹に決めた。見事に決まった足刀蹴りで解体屋は一メートルほど後ろにぶっ飛んだ。
「サンキュー瑞穂!」
「例には及ばないわ」
 全力疾走してきたのか肩で息をしながらも、瑞穂はそう答えた。
「天城さん。少々遅れてしまいました」と瑞穂の後ろから夢前さんもやって来た。
 これで形勢逆転だ。
 そう思って振り返った時には、もう解体屋はいなかった。
「…………」
 戦闘能力もさることながら、逃げ足も超一流だ。
「取り敢えず、アパートだ。あそこが最終合流地点だ」
「オッケー」と瑞穂。
「分かりました」と夢前さん。
 ――取り敢えず一件落着だ。

          5

 とにかく一仕事終わったあとのコーヒーは特別に美味いのだ。
 疲れた体にこの苦さが染み渡って……。
「あの、お兄ちゃん。何を悦に入っているんですか?」
「白菜コーヒーは美味いな」
「はいです!」
 よしよし、いい子だ。
「なーにやってのよ。馬鹿兄妹。せっかくシリアスな場面が続いてたのにここで壊す気?」
「三分以上持たねえんだよ」
「どっかの掃除屋みたいなこといってんじゃないわよ」
「だってなあ。このなんかぎすぎすした空気の中で、少しでも場が和めばと……」
 そう、昼間の件が尾を引いているのか物凄く空気がギスギスしている。オイルを差し忘れた自転車のチェーンのような音が聞こえてきそうだ。殊更――古都と瑞穂の間に流れている空気が尋常ではなかった。例えるならば極点で刃物を研ぐみたいな感じの冷たくてギスギスした空気。
 あと例えたのはいいけど結局たどり着いた表現が変わっていないって……俺のボキャブラリーって貧困だな。
「そうね。みーちゃんはもう戻らない方がいいと思うわ。だってさっきのって『ルール』でしょ?」
「多分……」
 自信なさげであるがたぶん当たりだろうな。
「あの……」と古都は俺の足に開かれた包帯を見て「大丈夫ですか?」と言った。
「ああ、たいしたことない。かすり傷だよ」
 実を言うとあのヘリコプターを撃墜した時に左足に擦過傷を負っていたみたいで、それに気が付いたのは古都だった。古都は『明日世界が終わるらしい』って言う噂を聞いたみたいな表情で手当てしてくれた。
「それにしても像より鈍感なんですねお兄ちゃん」
「うるさい。象の字が違うぞ」
「訂正します。恐竜より鈍感なんですねお兄ちゃん」
「酷すぎるだろ!」
 あんなのより鈍感だったら死んでも気が付かないだろうな。でもそれはそれで幸せだ。
「あー、なんか憑いてんのかな」
 幸也の探偵事務所の件と言い。ここ最近生傷が絶えない。
 それもこれもみんな『ルール』のせいか。
「とにかく、これからの事を決めましょう」と少し緩みかけた空気を瑞穂が引き締める。
 そう、これからのことだ。
 ここまで徹底的に『ルール』(の急進派か)に敵対した以上は俺たちもただじゃ済まないだろう。だとするなら……。
「やられる前にやる」
 それがこの街のやり方ではあるが――。
「ダメね。戦力差がありすぎるわ」
 あっさりと却下された。
 まあ瑞穂の意見が正しい。
 正直あんなのと真正面から遣り合うなんて正気の沙汰じゃない。カミカゼにでもなりゃ話は別だけど……。
「あの――」と古都が律儀に挙手をしていった。「五年ほど前なんですけど、たった二人の殺し屋が『ルール』を潰しかけたことがありましたよね……?」
「そういえば。でも確か片方は捕まったんじゃなかったっけ?」と俺。
 そう言えばそんなこともあったなあ。
 五年前。
 まだ孤児院に居たころか。瑞穂が出て行った年でもあるな。
「あれは別格よ別格。きっと人間じゃないわ」
「えらい言い様だな」
「当たり前じゃない。あんなガッチガチに固められた要塞みたいなところに二人だけで、しかも片割れが持ってた武器って言うのは刀でしょ?」
 刀……か。
 刀は、夢前さんと同じ武器だな。ちら、と夢前さんの表情を窺ってみたが、これと言って変化はない。というか無さ過ぎる。さっきから一言も喋ってないし。まあ、勘繰り過ぎるのもよくないか。
 そんなことは横にどけて。
「まあ、内部の事情を知っている人間がいる訳だし……」
 その場に居た全員の視線が古都に集った。
「あ、あの。その……すみません。私、実を言うと何にも知らないんです。ただお父様にに修行だって言われて……」申し訳なさそうに眼を伏せながら古都は言った。
「とんだ修行ね」瑞穂が言った。
 同感だ。
「で、でも。雪霜なら知ってると思います」と何故か俺を見た。
「……ああ、あのメイドさんのこと?」
 そう言えばそんな事を言っていたな。
 自分専属のメイドだと。
 姉のような存在だと。
「なに変な想像してるのよ」
「ああもう。黙れ! なんか浮かんできそうだったのに……!」
 俺はメイド萌えではない……と思う。
 じゃなくて。
「古都。その雪霜さんは完全にこちらの味方なんだよな」
「え? ええ、はい。雪霜が私を裏切ったらもう世界そのものを私は信じられなくなります……」
 雪霜さんが味方で、『ルール』の本拠地は敵対勢力の方が多い。
「と、なるとだ。今の『ルール』では古都に敵対する勢力の方が優勢っていう話だったよな?」
「はい、そうなります」
「だったら」
「あ」
 とそこで気が付いたのか古都は右手で口元を押さえた。
 孤立無援の忠義のメイド。
「そういう事だ。雪霜さんが危ないってことだ。一応訊いておくけど雪霜さんて何か武術をやっていたり、銃火器を扱えたりするの?」
「分かりません。でも、多分、この街で私のボディーガードやってるくらいだから……」
 多分大丈夫です。と自信なさげに古都は言った。
 まあすぐにやられると言う線は消えた……ということにしておこう。こんなVIPを守るメイドだ。普通ではないだろう。ただ、それにしても、多勢に無勢の状況ではそれも希望的観測でしかないだろう。数十人で取り囲んで一斉砲火すれば雪霜さんがどれだけ強くても風通しが良くなってお終いだ。最悪もうそうなっているかもしれない。
 勿論そんなことは口にはしない。
 俺はそこまで無神経ではない。
「……三番。三番通路はまだありますか?」と先ほどまで沈黙を守っていた夢前さんが徐に口を開いた。
「三番通路ですか? あります。私、そこを通って逃げ出してきたので……」
「なら大丈夫です。十分に進入できます」自信満々に夢前さんは言った。「昔そこから入りましたから」
「え?」
「例の殺し屋が」ふふふ、と笑いながら夢前さんは付け加えた。
 ぬう、なんか思わせぶりだ。
 行くのでしょう? と夢前さんは分かりきった事を訊く。
「もちろんです。それが俺の趣味ですから」
 いや、主義か。でもこれは俺一人のエゴだ。ならやっぱり趣味だ。
「困っている味方は例外なく助ける。みんなもう一働きできるか?」
「……しょうがないわね」と瑞穂。
「えいえいおーです」と白菜。
「勿論です」と夢前さん。
「ありがとうございます!」と今にも泣きそうな顔で古都が言った。
「今回の目的は雪霜さんの保護よ。間違っても『ルール』を倒そうなんて思わないように」
 何故か俺の方を見て瑞穂が言った。
「なんで俺なんだよ」
「あんたはどうもみーちゃんには、甘いようだから釘を貫通さしておいたのよ」
「力の入れすぎだ!」
 とにかくだ。
「ゆ――」
「雪霜さん。救出作戦スタートですぅー!」
 セリフを取られた。

     6

 と言うわけで面倒くさい手順やら何やらを省いてだ。
『ルール』のアジトである、八番街の通称“パンデモニウム”と呼ばれる『ルール』(KUMO)の本拠地となっているビルの前に俺たちは居た。
「開放的ですねぇー」と白菜。
「だな」
 三番通路はどうぞ御自由にと言いたげに口を開けていた。
「私みたいです」
「…………」
「黙らないで下さいよぉ。それだけが私の取り柄ですから。何でしたらお兄ちゃん。触ります?」
「胸を寄せてあげるな!」
 何でこうも緊張感が無いんだ?
「はい、馬鹿兄妹、そのくらいにしておきなさい」
「分かったから銃口をこっちに向けるな」
「ったく、ほんっと仲がいいわねあんたら。昨日今日、兄妹になったとは思えないわ」呆れならが瑞穂は言った。
「そりゃどうも」肩をすくめて俺は答えた。
 喜ぶべき所なのかな?
 それにしてもだ。
 つーかだ。
「何であんたがいる!」
 何故に日村のエロじじいが付いて来るんだ。
「儂がいちゃいかんか?」
「いや、別に……」
 瑞穂が連れてきたんだから役に立たないことはないと思うんだけど(なにせ瑞穂はリアリストだ)。
「この人ね、実はお父さんの恩師にして古い親友なのよ」申し訳なさそうに瑞穂が言った。
そう言えば義理とかなんとか言ってたけどそのことだったのか。
「そういうことだ」としわがれた声で言った。「あんとき以来で腕がなるわい」そう言ってホルスターから抜いたのはS&WM29だった。
 44マグナムかよ。しかも二挺。あと意味深な一言が途轍もなく気になる。
「それでは参りましょうか」
 白鞘を携えた夢前さんが言った。
「もしかして白虎ですか?」なんとなく当てずっぽうで俺は言った。
「ご名答。さすが天城さん」嬉しそうに微笑んだ。
「――――」
 なんとなく見蕩れてしまった。笑った夢前さんて、反則級に可愛い。
「で、本当について来るつもりか?」気を取り直し、振り返って古都に訊いた。
「はい。雪霜は私の姉みたい――と言うより最早姉です。それに、私はどこに居ても危険です。それならまだ天城先輩と一緒に居る方が安全だと思います」
 なんで俺限定なのかはさておいてだ。その意見にも一理あると思う。けど、やっぱり――表立って殺り合わないとは言え、それなりに危険が生じるわけだし――。
「連れて行ってあげなさいよ」と瑞穂が言った。
「そんなこと言ったってなあ」
「みーちゃんなら大丈夫よ。そのために山さん連れてきたんだから」エロジジイ――もとい山さんを差した。
「……まああれが居るなら安心だな」
 そのうち長寿関連のギネスを更新しそうだ。
「そろそろ行きましょう? いくらここが無防備だからってあんまり長居してると的にされるわよ? 天城君そんな趣味あったっけ?」
「どんな趣味だ!」
 俺はそんな自殺志願者もどきじゃねえぞ。
 遊挺を引いて初弾の装填を確認。
「それじゃあ行くぞ」
 俺を先頭に、瑞穂、白菜、山さんと古都の順番で後ろを守るのは夢前さんだ。
 最初の曲がり角を左に曲がった突き当たりに――直通ではないが――エレベータがあるらしく。俺たちはそれを使って、最上階に居るはずの雪霜さんの所に向かう算段だ。
 壁に背中を当てて、角からそっと除くと、エレベータの前に武装した急進派の連中が三人ほどいた。
眼と耳を塞げとみんなに指示して俺はM67手榴弾のピンを抜いた。手の中でいち、に、と数えてからエレベータの方に転がした。
 かん、かんと地面を跳ねた手榴弾を見てか、焦り上ずった声をだす連中。でも遅い。刹那、手榴弾が爆発し、高速で飛散した破片が周囲十五メートルの人間を例外なく殺傷する。
 すぐ目の前を爆風が通り過ぎる。俺は激鉄を起こし、廊下に躍り出た。
 しかし反撃は無く手榴弾はしっかり連中を倒したようだ。
 火薬の匂いが残る中を早足で駆け抜けエレベータに向かう。
「このまま最上階までいけます」と古都。
 と、エレベータが三十階で止まっていたランプが下に向かって動き出した。俺たちは両サイドに分かれ銃を構えた。
 二十五、二十四……と数える。
 そして残り五階になる。向かい側の瑞穂に眼で合図をした。一階のランプが点って、扉が両サイドにスライドする。
 中には二人の急進派の武装兵がいたが反撃の間を与える事無く、俺と瑞穂が放った銃弾が頭部を貫いた。
 エレベータの中には三人の人間が倒れていた。
「天城君」神妙に瑞穂は言った。「一応、終わりね」
「ああ」
 目標は達成だ。
 二人の武装兵はエレベータの床に蹲るメイド服の女の両脇に倒れている。真ん中のメイド服の栗毛の女性が雪霜さんだろう。
「雪霜!」古都が駆け寄った。俺はエレベータが閉まらないように『開放』ボタンを押した。
「雪霜ぉ!」
 涙声で名前を呼びながら古都はエレベータの床に倒れている雪霜さんに抱きついた。
「……お、嬢さま……ご無事……でしたか……」
 手遅れだった訳だ。
 古都の肩を借りて立ち上がった雪霜さんのメイド服は全身血に染まっている。量からすれば半分くらいは返り血だ。でも、もう半分は自分自身の出血。
 床を見れば血溜りが出来ている。
 これはどこか太い血管を損傷しているかもしれない。だとするなら、一刻を争う。
「すぐにうちまで運ぼう!」
 古都と俺で、雪霜さんの脇の下に腕を差し入れて背中に回し、歩くのをサポートする。
 雪霜さんは左足を引きずっていた。多分、大腿動脈あたりを損傷しているかもしれない。
「雪霜! しっかり! 死なないで!」
 古都は泣きながら雪霜さんが意識を失わないように名前を呼び続けている。
「早く行け! 追っ手が来た」
 山さんが叫んだ。少しだけ首を捻って後ろを振り返ると、マグナムに風穴を開けられた武装兵が二人ほど倒れる所だった。
 背後でまたセミオートとサブマシンガンの銃声が響いた。
「――――っ!?」
 前方で激鉄を起こす音がして俺は古都と雪霜さんを床に押し倒してベレッタを抜いた。頭上を銃弾が抜けてゆく。
「――誰だ!?」
 ただもんじゃないこの雰囲気は。くろぐろとした真っ当じゃない殺意。
「流石、よく気が付いた」
 黒いコートを羽織り、サングラスを掛け、地面に着きそうなほどの白色の長髪を夜陰に紛れさせた、クソッたれさらば人情愛すべきはお金だけの素敵な素敵な狂犬ちゃん。
「――ちっ、お前かよ」
 俺はホルスターにベレッタを納めた。
「先輩?」不安を隠しきれないと言った感じの古都が俺の顔を見上げてくる。
「俺はこっちの方が得意なんだよ」
 自信満々に言ってから、両の袖に仕込んだナイフを出して、左手を前に出して右手は後ろ引いて構える。
「かかって来いよ。相手してやるぜ? 狂犬」
 地面を蹴った。
「そうこなくっちゃ」楽しそうに言ってパイソンの引き金を引き絞る。
 少し手前で弾丸が跳ねる。
「どうした? しばらく会わなねえ間に下手になったか!?」
「自分こそ馬鹿になった?」
 今のは余興、と狂犬はいった。狂犬の銃口の向きが変わった。
「こういうことだよ!」
 パァンと銃声が響いた。天井に当たった銃弾が角度を変えた。俺は殆ど反射的に腕を振り上げていた。
 兆弾で、角度を変えて古都達の方に向かおうとした銃弾を全身全霊込めてナイフの腹で軌道をそらし、叩き落した。ざまあみやがれ悪趣味女が。
「……えー、ちょ、うそー、それってありかよぉ?」
 呆れた声で言った
「バーカ。お前は俺の実力を忘れたのかよ」
 俺の足元に先ほどの銃弾がめり込んでいる。
「ぬ……。反則だって。銃弾叩き落すとか……。あー、胸糞悪い。今日はここまで。続きはまた今度」
「ああ、俺もお前とはしっかり決着付けたいからな。どうせ依頼だろ? 俺もだ」
「だね。お互い苦労が絶えない身ってこと」
「まったくだ」肩をすくめて言った。
「じゃあ、またな」そうは言うものの、狂犬の銃口は終始こちらを向いていた。
 狂犬の癖してマメな奴だ。完全に立ち去ったのを確認して俺はひとまず溜息を一つ吐いた。
「……今のは――」何だったんですか。と古都は怯えた表情で言った。
「俺の古い友達。ってか幼馴染」
「友達? 殺そうとしたのに?」
「ああ、あいつは掃除屋だからな。金さえ積まれりゃ友情なんてドブに捨てるような自分本位の権化みたいなヤツだ。その割には諦めがいいのがあいつのいい所であり悪い所だ。それより、古都。立てるか?」一応手を差し出してみる。
「そう何回も腰を抜かしてなんて居られません」
 膨れっ面になりながら言った。
「それじゃ、雪霜さん行きますよ?」
「……お願いします…………」
 いち、に。でまた雪霜さんを立たせて歩き出した。
 ゆっくりではあるが確実に前進している。
 ビルの外にでると何人もの警備兵が首を打ちぬかれて息絶えていた。足元には空の薬莢が入ったローダーが落ちていた……。
「……あいつ」
 どうなっても知らねえぞ。
 まあ、これで逃走しやすくなった訳だけど。
 ビルの敷地内から出て、出来るだけ人気のない道を選んで逃げた。表通りにはまだ敵がいるかもしれない。

 暫く歩くと瑞穂達が追いついてきた。
「大丈夫か?」
「ええ、おかげさまで。あのじいさんってほんとにただのエロジジイじゃなかったのね」
 やけに関心した物言いだ。
 自分が呼んどいてなんつー無責任。
「この先に車を回してあるからそれで先に夢前さんと行きなさい」
「車?」
「兄さんの。あーもう。あとで何お願いされるかわかんないわ」
 はあ、と溜息をつく。
「あ、あの。先輩――」
「礼は要らないわ。今度学食でお昼おごってくれたら許してあげる」
「はい! とんかつ定食おごります」
 それでいいのか? つーかしっかり見返り求めてるし。
 なんか歪んだ力関係がこの二人にはある気がする。
 そんな事を考えながら少し歩くと、何故かムカつく赤いセダンが止まっていた。窓が開いて幸也は早く乗れと手で合図した。
 俺は助手席に乗り込み、後部座席は雪霜さんを中央に右側に古都。左側に夢前さん。古都は雪霜さんを膝枕してできるだけ楽にさせようとしている。
「幸也頼むぞ」
「言われるまでもない。僕を嘗めるな」
 ギアをトップに入れると思いっきりアクセルを踏んだ。
 ぐん、とシートに押さえつけられる。
「ちょ、お前飛ばしすぎ。怪我人が乗ってんだよ」
「その怪我人を気遣ってゆっくり運転して死なれたんじゃ僕の気が済まない。それにこんな面倒な仕事はさっさと終わらせたいからね」
「結局それかよ」
「当たり前だ。僕は運び屋でも逃がし屋でもない。僕は探偵だぞ?」
 とか何とか言いながら見事な逃がし屋ぶりで追っ手の車を振り切るどころかみんな壁やら植木に激突させてあっという間アパートに着いた。
「お前絶対にこっちの方が向いてると思うぞ」
「バカいうな。探偵は天が与えた僕の称号だぞ」
「榎木津かお前は」
「それは僕が最も尊敬する名だ。彼は神だ気安く呼ぶな」
 神なら九十九十九だろ。
 まあそんなことはどうでもいい。
 夢前さんの部屋に雪霜さんを運び込むと俺たち二人は部屋を追い出された。いまから治療をするそうだ。
 つーか手術だろうな。ホント夢前さんって何でもできる、というのか正体が知れないと言うのか……。
「天城先輩……」
 追い出されたので取り敢えず俺の部屋で待つことにした。瑞穂達はまだ追いついてはいないので二人きりだ。
「雪霜は……」
「大丈夫。夢前さんに任せておけば」
 本当に大丈夫かどうかはさておいて、こういうときは気休めを言うのが人間の常だ。
「……うっ、う……ひぐっぅ…………」
 ………………。
 そのまましばらく黙っていると隣ですすり泣く声が聞こえてきた。
 そしてその声は次第に大きくなり――。古都は俺の腕にすがるように泣き崩れた。
「うっ、う、く、うあぁぁぁ……!」
 俺は黙って取り敢えず頭を撫でた。それから自分の胸に抱き寄せてまた頭を撫でた。

          ※

 取り敢えず冷静になって先ほどの自分の行動を整理して並べた上でそれを組み立てた結果――。
「――――はう」
 赤面してしまった。
 なぜ自分はそんな事をしてしまったんだろうかと古都はとにかく後悔した。雪霜が自分のせいで重症を負って生死の境を彷徨っていて、何も出来ない自分がとても悔しくて情けなくて、急にこみ上げてきたものを抑えきれなくなった。
 そこまではいい。
「はあ、どうして私……」
 いきなり先輩に抱きついちゃったんだろう。と続けるつもりであったが、思い出すとまた恥ずかしくなってそれ以上言葉にならなかった。
「嫌われちゃったかな……」急にあんなことして。
 はあ、と溜息を吐いてベッドに横たわり静かな寝息を立てる雪霜に目をやった。
 あの後、古都が泣き疲れて眠ってしまっていたその間に、雪霜の手術は無事成功していた。
 天城の腕の中で目覚めた古都は真っ赤になりながら「すみません」を連呼した。それは天城が笑いながら「いいって。別に」の一言が出るまで続いた。
 そして、「雪霜さんなら大丈夫だよ」の一言ですぐ隣の夢前の部屋に向かった。部屋に入って早々、古都は吃驚した。それもそのはずだ。こんな貧乏アパートの一室が、手術室兼病室になっていたのだから。おまけに精密機器まである。
「今は麻酔が聞いていて眠っている状態です。もうしばらくすれば眼が覚めるでしょう」夢前はいった。まるで医者のような口ぶりだと古都は思った。
 そして、
 永遠のような一時間が流れた。
「……お嬢様」
 うっすらと眼を開けた雪霜は「生きているのですね」と天井を見つめながら呟いた。「申し訳ありません……」
「どうして謝るの……?」
「しかし、私は……」そう言って雪霜は眼を伏せた。「守るべき立場の私が守られてしまった……ですから――」
「だからなに? 自分が悪いって? そんなことない。ねえ、私はいつも思うの。どうして、雪霜は色んな事を自分一人で背負い込もうとするの?」
 これまでの古都の人生を舞台裏で支えてきた雪霜はいつも何か翳りがあった。それは時に、古都の父親との軋轢であったり、個人的な悩みであったり。しかしそれを古都に打ち明けることは無かった。少なくとも、これまでは雪霜は全てを自分一人で解決しようとしていた。
「悩みがあるんだったらいつでも私に相談して。そんなに色々一人で悩んでてもしょうがないでしょ? ねえ、教えて。昨日私を見逃したのはこの為だったの? 急進派を自分一人で何とかするためだったの?」
「…………」
 眼を伏せるだけで答えない。古都はそれを肯定と受け取った。
「でも、ね。いくら私の為だって言っても――」
 そこで古都はしゃくり上げた。いつの間にかまた涙がこみ上げていた。
「雪霜が死ぬことが一番私の為にならないってことくらい分かるでしょ――!」
 悲鳴のような叫び。
 叫びのような心の悲鳴。
「……申し訳――」
「だから、謝らないで!」
「わかり……ました」
 それっきり会話は無かった。
 あれから雨が降ったのか、窓の外で雨垂れが不規則にトタンを叩く音が聞こえた。まるで世の中の不文律を一箇所に詰め込んでそれを垂れ流しているようだった。

     7

 雪霜さんの話を簡単に要約すればこうだ。
 古都がビルを抜け出してから約五時間後。時刻は午前十一時半。廊下で銃声が鳴り響いたのを聞いて雪霜さんは様子を窺いに廊下に出た。そこでは急進派とわずかばかりの古都を守るためだけについて来ていた専属のボディガード集団が撃ち合いをやっていて、すぐさま雪霜さんもショットガンと便利なトランク(それは戦闘中に紛失してしまったらしい)を持って馳せ参じて、一時は押し返していたが、多勢に無勢。数で勝る急進派の方が次第に有利になっていき、ボディガード二三人と古都の部屋に立て篭もって応戦したが、ダクトからの閃光手榴弾攻撃にやられ遂に身柄を確保されてしまう。そこで雪霜さんを殺さなかったのは、彼女を餌に古都を釣るためだったのかどうか、判然とはしないもののそう考えるのが妥当だ。だからあの時も都合よく雪霜さんを拘束したヤツらと出くわした。
 後は知っての通りだ。
 因みに敵は救助に来ることも想定していたようだが、狂犬に手を噛まれてその計画は破綻してしまった。あんなもん雇うヤツが悪いんだ。腕は良いが金に弱く、それ以前に自分勝手。犬ってか猫だな。
「ということは、だ。結局の所はあいつらの狙いは古都ってわけだな」
「みたいね。――というより当然よ。みーちゃんはあいつら小悪党にとっては十分に利用価値がある存在だから。で、その当の本人はどこに居るの?」
「夢前さんの部屋で雪霜さんと話してる」
「姉妹水入らずね。あー、近すぎるって嫌だな。ほんと」
「何がだよ」
「いいわよ別に。あんたに言ってないんだし。独り言よ、独り言」
 独り言ね。
 独り言は孤独の象徴。ってか?
「…………」
 会話が続かない。
 こんこんとドアがノックされドアを開けると、松葉杖を突いた雪霜さんと古都がいた。
「もういいんですか?」
「ええ。美袋のメイドたるものこの程度では根を上げられません」
 独特のプライドがあるらしい。俺には到底理解できなかった。
 二人分座布団を追加してそこに座ってもらってついでにお茶も出そうとしたら松葉杖を突いているとは思えない速さで追い越した雪霜さんは「私がやります」と言ってお茶を全員分入れてくれた。
プロとかそういうのじゃなくてこれは最早病気だ。
 メイド病。
 …………。
 どっちかと言うと見る側に付けられそうな名前だな。
「すみません。先ほど話し忘れた事がありましたので……」
 私としたことが、と申し訳なさそうに言った。
 この人絶対にプライド高いだろうな。
「……へえ、それは一体……?」
「敵の頭の特徴です。少しでも手掛かりになればと思いまして」
「特徴?」
「ええ――急進派のリーダーはベレッタM84カスタムを所持していて、そのグリップには三つ首の蛇が描いてありました」
「三つ首の蛇」
 俺は瑞穂と顔を見合わせた。
「なんとなく心当たりがあるんだけど」
「奇遇ね。私もよ」
 俺は立ち上がって箪笥の一段目の鍵を開けた。そして中から少し埃を被った、ベレッタを取り出した。
「それってこんなのじゃなかったですか?」
 俺のベレッタにも三つ首の蛇が描かれていた。
 そう、これはあいつから貰ったモノ。
「……どうして貴方が?」不信感全開の疑問。そりゃそうだろう。味方だと思ってる人間が敵の象徴たる品を持っているんだから当然だ。俺はそんなことも踏まえた上で、敵の名前を告げた。
「そいつの名前は広邨剣嗣(ひろむらけんじ)」嘗ての恩人。そして今の怨敵。「あいつの口癖は――」
 
『俺は六回死ぬ男だ』

 六回死ぬ。
 六回死ねる、ではなく死ぬ。
「どうやら、敵は究極にややこしい相手みたいだな」
「ええ。全くよ。まさかヒロさんだなんて」
 広邨剣嗣は俺の恩人であり瑞穂の親父さんの弟子。
「突然姿を消したと思ったらそんなとこに居たのかよ」
『グラス・インパクト』に乗じて組織の中に忍び込んだと言うことか。あいつが居なくなった時期とも重なる。あいつが中心に居るならこの得体の知れない。正直混乱を招くだけの無益な殺し合いにも統合性が生まれる。
 あいつ――あの男はただ単純に、そして純粋に破壊を求めている。それ以外の要素は還元し尽されてなくなってしまっている。そんな人間にとって、この街はうってつけの場所と言えるだろう。ここでは破壊と殺戮こそが正義だからだ。勿論、俺はそんな腐った正義は必要ないと思う。そもそも正義なんてものはこの世にない。正義なんていうのはただの自己満足でしかないからだ。しかし、その割りに毒性は非常に強く、一度味わってしまうともう離れられない。それに加えて感染力も強力ですぐに大衆を酔わす。酔った大衆は自分たちが正しいと妄信し、見境なしに酔わない人間を、酔っていない人間を糾弾し、引きずり込もうとする。俺からすればそれこそが悪だ。価値観の統一化というものが一番平和に悪い。本当に平和を願う気があるならば、まずは自分たちから見直せ。それから戦争をやっているヤツらを見ろ。あいつらにも、あいつらなりの正義があるんだからな。死にたくないから殺す。なかなか殊勝――結構な正義じゃないか。
 話が逸れてしまった。
「とにかくこれで敵を攻め落とすのは簡単に行かなくなったわけだ」
 いや、違うか。もとから困難だったのがより困難――というのか不可能――に近づいた。
          
 

 つづく




 忘れた頃に更新。ていうか俺が忘れてた。
 つうかなんだ。いま読み返してみると果てしなく西尾維新臭がする。まあ実際これ書いた当時は西尾維新を読み耽ってたし。そう、西尾維新の話を友達に振っても誰も知らなかったころだったと思う。まあ、最近はあんまり読んでないけど。刀語が途中から読むのだるくなってそれ以来だなぁ。化物語は爆笑しながら読んでたけど。なつかしい・・・。あと確かこの世界観、ブラック・ラグーンみたいなのを日本でやるにはどうすればいいか、みたいなことに端を発して作ったんだよなぁ。一応語られていないけど、某広域指定暴力団が根城にしている町、というか区が元凶になって云々みたいな中二全開の設定があったりなかったり。同じ世界観でなにか書いて投稿しようかな。個人的には物凄く気に入ってるし。あとキャラクタも。ちなみにこれがエロゲなら真っ先に夢前さんを攻略します。つまりそんな思春期の妄想を押し込めた作品です。お陰で半端に内容が膨らみすぎて、限界まで内容削ってもどこにも投稿できる状態じゃなかったって経緯があるんだが(枚数オーバー承知で電撃に送ったら案の定弾かれた。当然だ)。まあ、いま読み返したら出来が酷いので、奇跡が起こっても一次通過どまりだったでしょう。推敲しなおすのが地獄のようだった。もう変な笑いが顔面に張り付いてしまって。悶え苦しむ、まさに邪気眼のコピペの最後の部分のようだった。けどこの頃が一番迷いがなかった気がする。
 それはそうと話は変わるけれど、なんか自己満足のために作った動画が宣伝されてて胃に穴が開きそうなんだが。これだから小心者は(その割には出たがりなんだけどなぁ。人間って難しい)。ちゃんと更新しないとな、あれも。あとさらに関係ないけど、字がぼやけて見えるようになってきた。乱視っぽい気がする。
 そんなわけで、次回は覚えていれば土日か、来週くらいです。

よくわからんなぁ

 
 どうでもいいことだが。
 ニコニコなりなんなりに出没する荒らし、特にアンチの行動理念が理解できない。なんで一々嫌いな動画を開いて、そこにわざわざコメントするんだろうか。嫌いなら触れなきゃいいのに。臭いものに蓋って、感じで。それともよっぽど暇なんだろうか。
 あと特定ジャンルに無条件で拒否反応を起こして、やっぱりコメントしてしまう人たちも。あれはなんというか、かなりの食わず嫌いよな。というか食わず嫌いだからこそ、とやかく言えるんだろう。実際にそれに触れてみてまったく肌に合わなかったら、絶対にもう触れようなんて思わないもの(まあ独善的ではた迷惑なクレーマー体質の迷惑人間がいたりもするんだろうけど)。動画を開いたり、スレッドにいったりして、わざわざ非難するようなコメントやらレス付ける時間があったら、絶対に別の、自分が好きなもので時間を消費するはずだ。もう彼らにとってはとりあえず非難することが義務になっているのかもしれない。まあしかし、アンチを生み出す原因がファンだったりもするんだろうけど。というか食わず嫌い連中の大半は界隈でアホな騒ぎ方をしているファンを見て嫌いになっているんじゃあないかと思う。そんな空気もそこはかとなく感じるし。たまに同属嫌悪みたいなのもあるけれど(ニコ厨とVIPPERの確執みたいな。ぶっちゃけどっちもどっちなのに。というか最近だとVIPPERが勝手に嫌って目の敵にしている様にも見えるけど)。
 荒らしが暴れた場合に、何故かそれに反応してしまうのがいるのもある意味では問題よなぁ。あの手合いは反応されると調子に乗るみたいな性質があるようだから。それでどんどんエスカレート。ニコニコの場合だと、動画と関係のないコメントで埋め尽くされ、掲示板だとレスを無駄に消費してしまう。あれ無視して頑張ってるなぁ、って感じでニヤニヤしてれば荒らしも楽しく見えてくるんだがな。傍から見てるとかなり滑稽だから、みんながドSになればいいんだ(せっかく頑張ってコメントしてるのに構ってもらえない。その姿をニヤニヤしながら観賞する。って、これはこれでなんか嫌だな)。
 まあいろいろ書いてしまったが、アンチがいるというのは人気の裏返しであることが多いわけで。自分も少しくらいはアンチがいる人間になりたいぜ。
 
 あとこれもどうでもいいことなんだが。なんで一々ジャンルだのカテゴリだのに固執するんだろうな。あれも傍から見てるとアホらしくてしかたない。まあ自分があんまりそういうの気にしない性質だからかもしれないけど(A型なのにね)。意識をして気にしようと思わないと、まったく気にならないからなぁ。

ちょ、えいぞう先生なにやってんの

 スクイズっておい。12月に出るアルバムではひぐらしのPS2版の曲カバーしていらっしゃるし。曲のチョイスが幅広すぎるというかなんというか。来月まとめて2枚買わなければ。






下のつぶやき 「最近自分がはっちゃけ気味な気がする。まあこれが本性なわけだが」